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2012年3月11日 (日)

これからが正念場だ

東日本大震災から11日で1年を迎える。今なお34万3935人が全都道府県に散って避難生活を送り、うち11万6787人が7県の仮設住宅に暮らす。死者は自然災害で戦後最悪の1万5854人に上り、3155人は行方が分からないまま。岩手、宮城、福島3県で推計約2253万トンのがれきが発生したが、最終処理済みは6%にとどまる。被災自治体の復興計画は5~10年での完了を想定し、道のりは遠い。福島県はこれに加え、放射能汚染にも苦しむ。被災地では「風化」を懸念する声が強く、継続的な支援が求められている。【北村和巳】(毎日新聞)

1年前の出来事が10年にも感じられる。多くの人達の人生が変わった。

震災から3週間後に訪れた三陸の町は、言葉に言い表すことが出来なかった。涙が止まらなかった。福島や宮城や岩手の人達が、何か大地の怒りを買うようなことをしただろうか。一生懸命働き、質素に暮らしてきた人達の、家も家族も奪い去ってしまった津波。この風景が、誰かが作ったタチの悪いCGであればと、何度思ったことだろうか。

あの日、強烈な揺れを感じた瞬間、僕は塾を飛び出していた。揺れは大きくなりばかり。僕の脳裡には、石巻女川原子力発電所の最悪の状況が何度も浮かんでは消え、浮かんでは消えた。

聞こえてきたラジオからは、津波に対する避難が繰り返されていた。しかしその時、すでに巨大津波が多くの港町を襲っていた。

女川が崩壊したならば、早く家族を避難させなければ、僕は信号機が止まり、混雑する道路を必死に自宅に急いだ。

福島原子力発電所の放射能が、この岩手の地に及ぶなど誰が想像しただろうか。チェルノブイリの悲劇を、どこか遠くの出来事のように思っていた自分の薄情さが、情けなかった。

福島の方々の危機を、何処かで、女川じゃなくて良かったと思っている醜い自分がいた。

電気が復旧した8日後、ユーチューブ動画で配信された津波の映像に言葉を失った。そしてドイツやフランスがインターネットで配信してきた福島第1原発の放射能のモニターリングの拡散の様子が、僕をフリーズさせた。

大変なことが起きてしまった。沿岸部に住んでいる友人や知人たちの安否が気になったが、連絡がとれない。

宮城県内のフランス人らが母国に強制帰国させられた。一関市内からもアメリカからやってきていたキリスト教の宣教師達の姿が消えた。

市内の火葬場では、津波で亡くなられた方々の火葬が毎日行われ、市内で亡くなられた方々の葬儀もままならない状況がしばらく続いた。

今日は様々な追悼が各地で行われるが、震災はまだまだ続いている。これからが正念場だろう。

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