2者択一の世界に生きている
僕ら塾屋は、塾生を合格に導くことが仕事ではあるが、競争心を煽ったり、勝ち負けを決める勝負のアシストをやっているわけではない。
勉強がつまらない。勉強が面倒くさい。そういった生徒を指導することは実に難しい。何十年やってきても、有効なマニュアルなど構築できない分野である。だからやりがいがあるのかもしれない。
塾に来たくないのに、無理やり連れてこられた生徒は一発でわかる。部屋で寝ていたのを叩き起こされてきた顔。見たいテレビ番組があるのを連れてこられた顔。成績が上がらないと叱られた顔。
いろんな憮然とした顔と直面する。そんな日は、もちろん本人は塾どころではない。
「今日は何をやりますか」
「何でもいい」生徒は家の延長線のままの感情である。
机に座って5分もしない内に、もう時計を気にしている。
現代っ子は快楽主義だ。ゲームにしてもケータイにしてもそして恋愛にしても、快楽を一番に重視する。つまり面白いか面白く無いか、その2者択一の世界に生きている。
テレビで洗脳されてきた習慣性は、まるで脳髄まで染みこんでしまっているようだ。
僕は一人っ子で、小さい頃は両親が共働きだったから、遊び相手もなくテレビが友達のようなものだった。テレビは受動的で、快適で、そして退廃的だった。どんどん気力を吸い取られていった。
お馬鹿だった僕が、高校生になって勉強する集中力が生まれたのは、テレビと決別する決心ができてからだったと思っている。それ以来、インベーダーゲームが誘惑してこようが、大学時代に入って、エロビデオが誘惑してこようが、僕はテレビ画面の前に座ることはなかった。
かつての記事でも書いたが、僕は15の夏から大学を卒業するまでほとんどテレビを見ることはなかった。金八も知らなかったし、おニャン子クラブも知らなかった。
大学時代はバイトと音楽と文学と、そして現在僕の女房になっている彼女がいるだけで、充実した毎日だった。
やばいやばい僕は何を書こうとしているのだろう。脱線してしまった(笑い)。
つまり何を言いたいのかと言えば、テレビや種々の動画的画面は、受動的すぎて、子どもたちの集中力や感性を鈍らせてしまうということを言いたいのである。もちろんその中にはケータイも含まれる。
故にサテライトと称して受験指導をするシステムも僕は好きじゃないし、パソコン塾も好きではない。受かれば良いだろうという発想にはなれないのである。
要領の良さを鍛えるのがもし塾の使命だとしたら、僕は塾をやってはいなかった。
成績が上がれば合格すれば手段はどうでも良いだろうというのは、競争原理の申子の言うことであって、人生の道筋を考えるならば、頑張って落ちた生徒よりも、適当にやって受かった生徒の方が今後が試練なのである。
受かればOK、落ちれば残念という2者択一の世界ではない。
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コメント
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かねごん先生、こんにちは。
テレビとの付き合い方は本当に難しいと感じています。
自分はテレビ酔いするので好きではないのですが、
子どもたちはやはり大好き。
ゲームもやりたい、アニメも見たい。
小さい頃は私が制御していましたが、年々それが難しくなってきています。
こんなくだらないことで頭を悩ませたくない!
(かねごん)
しろ様コメントを頂きありがとうございます。
テレビとの付き合いは難しいですが、決別すれば、タバコほど大変じゃないような気がします。
禁酒よりは簡単だと思います。僕が言うのもなんですが・・・。
投稿: しろ | 2012年3月21日 (水) 10時10分