変なセンセイである
本日を持って受験学年の教科指導が全て修了した。そして高校も、明日で本年度の授業を終える。
2011年度を振り返れば、語り尽くせぬ話が一杯あるわけだけれど、魂に多くの悲しみが刻まれた1年だった。
毎晩打ち込む僕の塾ブログが、いつしか被災地のシンボリックなブログになってしまい、押し寄せるアクセス数に正直戸惑いながらも、地域の声や、やるせない現実を書き続けてきた。
3.11以降僕のブログを読んだ方々の人数は、40万人を越えた。公開した記事に頂戴したコメントやメールもかなりの数にのぼる。
多くの方々と繋がりを持つことができたブログだったが、嬉しいことばかりではなかった。放射能の話を書き始めた頃、10通のコメントがくれば、その内の1通は、ご飯が喉を通らなくなるような内容の文面だった。
「放射能値が高いなんていうデマを書くな」そんなメールに、何度か心が挫けそうになったが、多くの応援メールに、僕は何度も救われた。
岩手の田舎町の小さな小さな塾の教師が、何を吠えても変わることはないだろうと思った。しかし、塾の保護者の皆さんや、このブログを読んでくれた一関市や近隣の多くの方々が、それぞれのスタンスで声をあげてくれた。とても嬉しかった。学校の先生や、市役所の職員の方、病院の方、多くの方々が見えない敵に立ち向かってくれた。
もう僕の書き手としてのお役目は終ったのかも知れない。多くの方が様々な活動を始めている。
本業の塾屋家業に、専念すべきだろうと思うのだが、しかし日々怒りの状況が目に飛び込んで来る。落胆と希望が錯綜する毎日である。
学生時代、多くの文学青年がそうであったように、雑文を書く習癖が、ブログという形で再燃しようとは夢にも思わなかった。
最初僕の読者は女房だけだった。それが多くの方に読んでもらっていることに、不思議な感覚に襲われる。
今年は先生と呼ばれるようになってちょうど30年目を迎える。全くもって変なセンセイである。今度の日曜日からは、申告書類や、年度末の雑用が怒涛のごとく押し寄せてくる。もうひと頑張りだ。
このブログが一人でも多くの皆様の心に届いていただければ幸いです。
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