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2012年2月20日 (月)

遠い国のデジャヴを見ている思いがした

『自分はここで一体何をしているんだろう』という、ある種の虚無感というのか、自分に対する猜疑心にさいなまれることがある。

毎日同じ道を走り、同じ場所で仕事をこなし、そして同じように過ぎていく時間の中で、マンネリ化していく日常に、ふとため息をついている自分がいる。

仕事が出来る喜び。家族がいる喜び。そして生きている喜び。そういったものをもちろん感じない分けではないけれど、『こんな人生で俺は良かったのだろうか』と思いうことは、正直ある。

幸福も不幸も幻想じゃないだろうか、僕らは喜怒哀楽の価値基準を、社会から勝手に埋めこまれ、感情教育という名の洗脳教育をされてしまった受動的動物なのではないだろうかと考える時がある。

そんなときは疲労感がマックスに達している時で、きっと軽い鬱状態に落ち行っているのだろと思うのだが、客観的に自分を眺められている状況を見ると、悲観すべき状況でもないようだ。僕はこんな感情に襲われるがゆえに、逆に何かをしなければいけないという動機付けが生まれる。変わった人種の人間かも知れない。

人間の欲望は限りない。人間の努力の原動力は間違いなく欲望の達成にある。欲望を目標と言い換えてもいいだろう。その目標を放棄した時に訪れる諦観を、時に挫折と呼ばれ、時に敗者と呼ばれるが、その言葉の蹂躙にもがき苦しむ人達は多い。そして僕もその一人だ。

福島第一原発がメルトダウンを起こし、大量の放射能物質が東北の大地にばら撒かれてしまった。原子力発電の導入に反対をなぜ出来なかったのだろう。なぜ僕らは危険を知っていて止められなかったのだろう。『僕は何をしているだろう』という自己嫌悪に陥って行く。

『社会に流されたくない』そんな思いはずっと僕の心の中にある。誰もが抱える心の傷や、今回のような甚大な震災の痛みも、いつかは癒されていくのだろう。しかし、現在進行形で続いている哀しみや、激しい憤りの感情をごまかすことなどはできない。

人間の存在価値を冒涜する物事に、NOを言わなくてはならない時に、NOを言えない、もしくは言ってこなかった過去を許せない自分と、沈黙をする自分がいる。

昨夜の地域のとある会合で、『放射能、放射能って騒いでいるけど、食べなければ生きていがれねっちゃ」と言っていた地域の世話人の先輩方の言葉を聞きながら、僕は、遠い国のデジャヴを見ている思いがした。

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コメント

かねごん先生、こんばんは。

寝る前にちらっと読むだけ~のつもりで寄ったのですが、先生の『幸福も不幸も幻想じゃないだろうか、僕らは喜怒哀楽の価値基準を、社会から勝手に埋めこまれ、感情教育という名の洗脳教育をされてしまった受動的動物なのではないだろうかと考える時がある。』に・・・。

私も良くそんなことを考えます。

「近代教育は喜んで奴隷として労働する国民を育てるためのもの」という話を読んでしまってから特に・・・。

税の問題、過剰に消費させられる生活体系、毎年増える自殺者、幸福度の低さ。どれを取っても国民は奴隷なのかと思います。

今夜は眠すぎて頭がショートしそうです。
中途半端ですが、これにて・・・おやすみなさい。

(かねごん)
しろ様いつも拝読いただきありがとうございます。
アメリカ主導の近代教育は、日本人を骨抜きにしてきた洗脳教育だと思っています。
日本の風土が培ってきた歴史観や、思想をもっとダイレクトに咀嚼していかなければならないと思いますね。

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