最近のトラックバック

« 情念の堆積 | トップページ | 天使の階段 »

2012年2月17日 (金)

僕の小さな個人塾がなんとか生き残ってきた理由

テストの点数をアップさせ、学年順位をアップさせ、志望校に合格させることが最終目標ならば、塾の先生という仕事はあまりにも寂しい職業だ。小学生や中学生に受験教科を教えるだけならば、進学校に通う高校生や、地元の大学生で十分事足りるのである。その後にやって来る長い長い人生の旅立への指針をそっと与え、生きて行く勇気と希望を子ども達に持たせてこそ、我々は先生と呼ばれる存在でありえるのではないだろうか。

かつては学校の先生になれなかったから塾でも開くかなどと言う方が多かった。しかし現在は学校の先生になるより、塾を営む方が困難な時代なような気がする。なぜなら個人塾のほとんどが食っては行けない。

カリスマ的な指導力や、圧倒的な合格実績をあげてさえも、消えていく塾が多い。なぜだろう。

答えは簡単だ。それ以外のものを世の中は塾に求めているからだ。僕は30年近く塾教師をやってきた。一番求められてきたのは、合格実績でも、有無を言わさぬ指導力でもない。対話だ。子供との対話。そして親御さんとの対話である。

僕の小さな小さな個人塾が生き残ってこれたのは、子供との対話が教育の一番の柱だと考えてきたからだと思っている。オーバーな表現かも知れないが、魂との対話と言ってもいいかも知れない。

子ども達は生きるためにこの世に生まれてきた。生きるとは、自分の思いをこの世に映し出すことだと私は思っている。悲しみよりは、喜びが良いにきまっている。泣き顔よりは、笑顔が良いにきまっている。その感情の発露は言葉が担っている。

人は何気ない日常に襲いかかってくる不安や恐れにたじろぐことがある。しかしそういった負の感情さえも、自分の思いが引き寄せているのだとしたらどうだろうか。言葉は現実を創造する。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ  このブログが一人でも多くの皆様の心に届いていただければ幸いです。

応援のワンクリックをお願い致します。

« 情念の堆積 | トップページ | 天使の階段 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 僕の小さな個人塾がなんとか生き残ってきた理由:

« 情念の堆積 | トップページ | 天使の階段 »