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2012年1月26日 (木)

過ごす時間の質が人生を決める

卒業した高校とその後の人生の関係というものを、最近考えてみた。

進学校を終えた同級生達は、しょっちゅう同窓会をやっているようだが、田舎の私立高校を出た僕らは、一度もやっていない。発起人がいない。OB会の会報もない。

大学の方は毎月会報がやってくる。先生方や卒業生の訃報なども載っている。

高校の偏差値の差が何処に出るかと言えば、もちろん大学の進学率とか、就職する職種の差になって行くのだろうけれど、精神的な拠り所の有無というあたりが一番大きな違いだろうか。

寒い中、土木関係の仕事をやっている人達を見て大変だろうなと思うかも知れないが、パソコンンに向かって毎日数字を打ち込む仕事も大変だ。最終的にはお金という見返りが、仕事のやりがいやプライドを築いていくのだろうけれど、学歴も同じじゃないだろうか。

15の春の能力が、その人の一生を決めるわけではないのに、日本社会はすべてが決してしまうような錯覚を与え、その錯覚がある種の洗脳になって行く。

いい高校に入って、いい大学に入らなければ幸福はないよみたいな発想は、非常に歪んだ発想だ。今まで何度も繰り返してきたが、語学や数学を解く能力は平等じゃない。毎日1時間ぐらいの勉強で、ほぼ理解する生徒もいれば、5時間やっても覚えられない生徒がいる。

つまり能力には指向性があるのだ。その指向性を、国・社・数・理・英の教科で掌握してしまおうという教育の制度に無理があるのであって、必要以上の劣等感を子どもたちに与えてしまっている。そしてそれが、情緒不安や欝を引き起こし、社会そのものへの適応能力まで奪ってしまっている。残念だ。

世の男性の中には、太った女性を好きな人がいる。年上じゃなければダメだという人もいる。最近はやりのニューハーフの方もいて、男性を愛する男性もいる。

どこまでを個性と言って、何処からが異質なのかは、常に社会が判断してきた。それはマスコミであったり、世論であったり、自称知識人と言われる評論家の声だったする分けだが、当事者の感情や感性を、想像で言い放つ失礼さを考えていない。

これは高校にも言える。自分が進学校に通っていることで、私立や職業訓練的高校に通う生徒を馬鹿にする生徒がいるが、大学に行くことが普通の進路だと思っている生徒には、弱者に対する創造力が欠乏している者が多い。そういった人間が、教員や公務員になっていくならば、やはり感性の乏しい社会が生まれることは否定できないだろう。

微積が解けることも、英語の長文がすらすら読めることも、人間が持つ能力のほんの一部に過ぎない。暗記力だってそうだ。

テレビの視聴率のように、数字だけを追い求めていると、本質が劣化する。

「名前を書いてくれば受かるんでしょ」そんな声が毎年この時期になると聞こえてくる。進学校に行かない生徒は、進学校の生徒が大学の受験勉強に取られる時間を、ぼ~とテレビを見たりエロ動画を見て過ごしては行けない。自分がやらなければならないこと、自分が出来ることに専心するべきだ。

高校がすべてではないが、過ごす時間の質が人生を決める。

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コメント

かつてお伝えしましたが、私は重症心身障害児だった一人息子を明けて一昨年亡くしましたが、息子が元気だったころ仕事中の外出先、都心の地下鉄のホームなどで彼と同じ世代のいかにもお金持ちのご子息とおぼしき男の子が制服に制帽、半ズボンと黒いソックスに黒いローファーの子供達を見て複雑な気持ちで眺めていた事がありました。この子達は決して息子のような子供達に接する事もなければ、関心もないだろうなと。そういう子供達は自分の身体と同じくらいのランドセルを背負って、優先席で活字の本を読んでたりします。これは全く私の偏見ですが、電車や、マックで受験勉強もしくは、高学歴の若者ほど障害児又は弱者(お年寄り、妊婦の方など)にほとんど興味がないようです。というより関わりたくないといったぐあいです。かたや、田舎で暮らした私からすればこんな格好で高校に行ってるんだろうかと思ったりする厚化粧の女子高校生が、席を譲ってくれたり障害児に声を掛けたりしてくれます。この現象をどう考えるかなのですが、先に上げた男の子が立派な大人(リーダー)になって、息子のような子供達の事を真剣に考えてくれるのだろうかと。既に息子への心配は必要がなくなりましたが、これからの社会を考えるとなんだかなーと思うのです。高学歴や、受験生を非難したり、妬んだりしているわけではありません。もちろんお話しした現象はほんの一部で全てではありませんし私の偏った見方です。かねごんせんせいのブログを拝見して、ちょっと書きたくなりました。
東京寒いです。そちらからすれば笑われるかもしれませんが。ご自愛ください。

(かねごん)
shinkunnopapa様こんにちは。
日本人は「優秀な」という言葉の使い方を、少し間違って使ってきてしまったんじゃないかと思っています。
仕事がら多くの若者と接してきましたが、謙虚でいたわりのある若者が、僕は最高の人格者であり、知性的な人間だと思います。
いい学校に入っても、利己的すぎる人間は、疲れますね。

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