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2012年1月19日 (木)

メビウスの環

運動部の監督さんの中には、いくら良いプレーをやっても、勝たなければダメなんだという指導者がいる。

勉強を教える教師も同じように、いくら頑張ったって、入りたい高校や大学に入らなければダメなんだという先生がいる。

逆に僕は尋ねたい。強ければいんですか。受かればそれでいんですか。どんな大会だって優勝者は一人しかいない。それ以外は全員負けなのだ。

大学だってそうだ。皆が皆、国立大学や有名私立大学に入れるわけではない。殆どが3流や4流だ。家庭の事情があって、能力があっても大学に行けないものも多い。彼ら彼女らは負け組なのだろうか。決してそんなことはない。

いい学校をでる。いい仕事に就く。結婚をする。家庭を持つ。そういった流れの中になじまない人達が不幸かと言えば、そんなことはない。それぞれの生き方があって、それぞれの幸福がある。

どんなに立派な家に住んでいても、高級車に乗っていても、満たされないものはあるし、たとえその日暮らしの生活でも、満ち足りた生活というのはあるものだ。財力と権力を盾につかみとった成功を、幸福とは呼ばない。それは快楽であって豊かさではない。

人間は死ぬと天国に行く。中には地獄に行くと思っている人もいるかも知れない。しかし実際はそんなものはない。それぞれの本質(魂)は、生前の欲望のまんまの生活を作り出し、その幻想の世界の中で安住する。

そんな安住の生活も長くは続かない。また魂は自分の修行の場を求めて転生して行く。我欲の中で生きるものは、何百回、何千回と転生を繰り返して行く。転生のメビウスの環から脱却することができないのだ。

敬虔なキリスト教徒は、一発で神の元へ行くことを願う。しかしその欲望がまた新たなカルマを生み、転生を繰り返す。

仏教でいう解脱も、キリスト教でいう神への回帰も、生やさしいことではないようだ。

勝つことを学んだなら、負けることの学びも大切なのだ。勝利者の栄冠は、神の視点から見れば、必ずしも喜ばしいことではないかも知れない。

負けている

人を弱しと思うなよ

忍ぶ心の

強きゆえなり

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コメント

私の塾の先生が言っていたこととそっくりで驚きました。
先生はノーサイドという言葉を使っていました。
ラグビーの用語で、試合が終わったら勝ちも負けも無いという意味だそうです。
試合があれば勝者が出、敗者が出ます。でもそれはあくまで結果であり自分が満足できたのなら勝ちも負けも関係無く、幸福を得られます。逆に例え勝ったとしても、自分が満足できなければ幸福とは言えません。
こんな考えが皆に広がってくれれば互いに相手を尊重できると思うんですが、どうしても違う考えを好んで持とうとする人がでるんですよね。

(かねごん)
大孔明さんコメントをありがとう。
競争社会は、原始社会の遺物だと言われる時代が来るといですね。

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