日本の失業率が上がってしまっている。アメリカやEUほどではないにしろ、深刻な失業率になっている。
優秀な人材を確保したい企業は、弱者に見向きもしなくなった。学校の成績が思わしくなく、欠席も多く、寡黙な生徒をシャ卜アウトだ。
当然だろうと言う声も多い。しかし若者を育成してきたのは企業であり職場だ。実践力を高校生や学生に求めるのは、僕は企業の怠慢だと思っている。
高校や大学では、仕事の実践力など教えていない。家庭での躾がしっかりされている生徒や、運動部で鍛えられた根性のある生徒や学生だけが、重宝がられる社会ではいけない。
チャンスは平等に与えられなければならない。企業や会社は神でもなんでもない。人間の能力を、資格や見た目の印象だけで判断などしてはいけない。
誰もが長所や短所を持っている。一億人いればすべてが違う。人が開花する時期も違う。
小学校の時に神童ともてはやされた児童が、大人になって全く普通の成人になることは多々あることだ。学生時代鳴かず飛ばずの人間が、40、50になって世の中で脚光を浴びる者もいる。
人間の未知数を判断するのは、教師ではないし、企業でもない。自分なのだ。
日本の製造会社は、安い人材、安い電気料、安い税金を求めて海外に脱出した。そして日本の若者は仕事が減った。
利益を求めることは悪いことではない。グローバル化も悪く無いだろう。しかし自分の所属する国家や民族のアイデンティティーを失ってはいけないのではないだろうかと思っている。
僕は日本が好きで、日本を愛している。だから日本人が幸福であればいいと思っている。日本人としてのプライドを忘れず世界で活躍している多くの日本人がいる。輝きは大切だ。どこに住もうが、物理的な制約は変らない。気持ちではないだろうか。
内乱が続く国がある。宗教の争いが絶えない国がある。貧困が犯罪を生み出してしまっている国家や地域がある。
それを見て、「しょうがないよ」と思っている人が、実は、自分の住む世界をも軽視しているのではないだろうか。
政治家の財力を支えてきたのは、企業だ。政治献金という名の賄賂がまかり通ってきた。それでも日本の企業が発展してきたのは、それ以上の社会貢献を間違いなくやってきたからだ。そのひとつに若者の育成があり、弱者への経済支援があった。
国家も企業も、出来の悪い、やんちゃな悪童達を見捨てたら、彼らは何処に彷徨い込むだろう。薄暗い闇が彼らの憩いの場所になってしまう。もうそろそろ日本の若者たちは飛翔する時期ではないのだろうか。故郷はいつも心にあればいい。土地のしがらみも、呪縛ももういらない。
競争社会の敗者は、仕事が無いことではなくて、希望が無いことが問題だ。希望を持つためには、自分の欠点でさえも長所にしてしまう図太さが必要だ。日本の国土に仕事が希望がなければ、外国に希望を見出したらどうだろう。日本人の感性は間違いなく世界に通用する。
日本を見回して見ると、いいところがいっぱいある。同じように世界にもいいところがいっぱいある。日本人であることに誇りをもって、自分がいきたいところに行けばいんじゃないだろうか。日本人だから見えることがある。日本人だからやれることがある。
小さな街に自分を同化しなくてもいい。小さな国に同化しなくてもいい。ましてや企業や会社のために、自分を過小化する必要も無いんじゃないだろうか。
僕には夢がある。高校や大学の就職課に世界の企業の求人がやって来る時代を待ち望んでいる。日本を起点にして、世界で活動できる若者の育成が急務だ。
このブログが一人でも多くの皆様の心に届いていただければ幸いです
最近のコメント