ポートレイト・どんぐりと山猫
宮沢賢治のポートレイトの影響ではないけれど、若い頃猫背気味に歩くことがカッコイイというのか、アンニュイ気取りというのか、そんな頃があった。
東北の冬は長い。ゆえに背中を丸めて春を待つという感覚がどうしてもある。今のように部屋ごとにヒーターがあるわけじゃなく、炬燵や囲炉裏で丸まって寒さをしのぐ子ども時代の冬は寒く厳しかった。背中を丸め、僕はいろんなことを思い、そして夢想した。
岩手から東京に出た時に一番違和感を覚えたのは、背筋を伸ばし、猛烈な速さで歩く都会人の姿だった。ポケットに両手を突っ込み、背中を丸めて歩くことがカッコイイと思っていた僕の価値観が猛烈に揺さぶられた(笑い)。
この賢治の写真は、一体誰がどんな意図で写した写真かは分からないが、もし背筋を伸ばし、空を見上げるような写真が世間に出ていたら、彼に対する作品の評価も変わっていたのではないかと、そんなことを考えてしまう。
もし宮沢賢治がこの時代に生きていたとしたならば、今回の震災や放射能の問題に対して、どのようなスタンスで、どんな作品を書いただろうか。故郷を愛する賢治は、猛烈な社会風刺的寓話を書いただろうか、それとも激情的強行手段をとっただろうか。
かねた一郎さま 九月十九日 あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。 あした、東電とのめんどなさいばんしますから、おいで んなさい。とびどぐもたないでくなさい。 山ねこ 拝
こんな手紙が来るかも知れない・・・・。
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