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2011年11月13日 (日)

鎮魂

どこまでも、どこまでも続いている一本道がある。

Syouzi

過去から現在へと人類は歩みを続けてきた。生きる利便さと、時に幸福の追求という哲学を構築しながら。

煌々と輝く電灯の光の元、快楽と享楽を与えてくれる文明の恩恵は、退廃的ではあるが、間違いなく人々の生きる欲求を後押ししてくれた。

お金という究極の導火線が、人間の文明を動かしてきたと言っても過言ではないだろう。そして僕という人間も、疑うこと無くその一員に違いない。

每日世界を飛び交うメールの数はいったいどれほどだろう。その天文学的数字の中に、人生をかけたメールがあり、命を救うメールがあり、愛を育むメールがある。カタカタと打ち込まれるPCの音は、紛れもなく現代文明を象徴する音質だ。

3.11以降、僕は何度も何度も死というものについて考えた。いや、考えなければならなかった。僕の従兄弟はあの日、石巻の仕事場にいた。車で逃れたのだが、間一髪だった。彼の車のバックミラーに、津波で流されていく後続の車が映ったという。

修羅場だ。それ以外に表現する言葉があるとすれば、それはすべて脚色になってしまう。

死があまりにも哀しいのは、遺された人達の喪失感だろう。しかし僕は勇気を持って言いたい。死はすべての終わりではない。転生を続ける魂は、既存の哲学や宗教を超越した時空に、物理的に上昇して行く。大洋から立ち上る雲海のように。

僕らは光であり、風であり、そして思考を持ったエネルギーだ。何度も何度もこの地上に降り立つ魂は、勇気の塊だ。肉体という不自由なしがらみに、一見僕らはがんじがらめになっているように見えるが、心の思考は自由であり、猛烈なエネルギーを放っている。

僕らはそのことを忘れている。

僕らに優劣はない。不平等もない。なぜなら思考は自由だからだ。

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