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2011年11月11日 (金)

ブログ最後の日

月に吠えると言う言葉があるが、今日は満月だ。僕の頭に血が登っている。

あまりの馬鹿さ加減に怒り心頭だ。

その理由を書けば、また数百人の知識人から自重しなさいというメールをもらいそうなので、決して内容は書かないが、公という字には僕はもう飽き飽きした。

人間は欲望の奴隷だ。自分が一番可愛い。究極のナルシストの動物、それが人間だ。自分に災いが来なければそれでいいのだろう。

誰が苦しもうが、誰が悲しもうが、誰が涙しようが、結局は自分の家族が安全であればそれでいいのだ。他人なんかどうだっていい。

そんな日本人が一人また一人と増えていけば、間違いなく多くの人が望むようなカタストロフィーがやって来て、日本は、そして世界は終わってしまうだろう。

塾生に言われた。「先生がブログで公開すれば、ぎゃあーと叫びたくなる人達がいっぱいいるでしょう」

僕「いるよ」

僕はブログのメールだけではない。多くのバッシングを受けてきた。本当は実名で批判したい組織や人物がわんさかいる。でも大人だから沈黙する。

どこのどなたか知らないけれど、僕がブログと言う権力を持ったいうコメントをくれた方がいたが、ある意味当たっているのかも知れない。でもそんなモノは意味が無い。

僕のブログのアクセスが50万アクセスになろうと、100万アクセスになろうと、僕が書く記事は霞のようなものだ。書いた先からその記憶は過去に押しやられ忘れられていく。

僕はほとんどの記事を下書きしてから打ち込んできた。大学受験の論文指導を20年ほどやって来た。どう書けば試験官に受け入れられるのか、合格点を得られるのか、そのへんのところは一応知っている。それで飯を食べてきたので当然と言えば当然なんだが、こと自分の事となると、感情が先走って文字が蛇行する。

ゆえに下書きをしないと、クッションが生まれない。思考が困惑してしまう。

4年間で原稿用紙にすると、5000枚近くの原稿用紙分の記事を書いてきた。そのうち1000枚ほどがボツ原稿だ。感情の入り過ぎ。個人情報の書き過ぎ。そんなところだ。お陰でどうにか炎上だけは免れてきた。

人生最後の日というのがあるが、ブログ最後の日というのももちろんあるだろう。書きたいことを書いて炎上させて終わりというのも、最後の花火みたいでいいかななどと妄想したりするのだが、小心者の僕はやっぱりできないだろうな・・・・

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コメント

どっきりタイトルはやめて下さい~!
心臓に悪いです。(笑)

(かねごん)
美川先生申し訳ないです。
でも本当にやめたいと思う日はありますね。
やめませんけど(笑い)・・・・。

12日の新聞に県南の空間線量率とセシウム沈着量が載っていましたが、尺度が小さすぎておおざっぱにしかわかりませんよね。本当がっかりです。

(かねごん)
一関の多くの方々と横の繋がりが増えてきました。
放射能から子どもや市民を守るための活動をどんどんやっていきたいと思っています。
今後ブログで紹介していきたいと思いますので、よろしければ参加してください。

ブログ最後の日
と言うタイトルを見てドキッとしました。
個人のブログだと言うのに、言いたいことも、思ったことも書けない、なんて息苦しい時代を生きているのでしょう
私は田舎に住み自然と寄り添い
沢山の生き物たちの息遣いを感じながら生きる、そんな生活をズット夢見て実現させました。自然を身近に感じながらの生活はとても心地よいものでしたが、それと引き換え、好きなことを好きなだけ言えない空気も感じてきました。都会の中で避難生活が8ケ月を過ぎた今、あれだけ嫌だと思っていた都会生活の良さを見直しています。
炎上させて終わり・・・なんてことはありませんように

(かねごん)
yaeko様いつも拙い僕の記事を読んで頂きありがとうございます。
放射能の記事を書き始めて8ヶ月、ようやく県内や市内の方々とネットワークが生まれてきました。
まだまだがんばりますよ!

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