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2011年11月 7日 (月)

僕らは生きなければならない

震災後、墓石屋さん瓦屋さんが大忙しで、仕事が年内いっぱいうまっている所が殆どだ。

今月に入って、ようやく道路工事が本格化し、3月以降片側通行だった自宅周辺の道路が、整備されてきた。

津波で町が消えてしまった三陸。仮設住宅がほぼ完成した。しかしこの仮設を利用できるのも2年だけ。3.11で仕事がなくなり、失業保険を支給されていた方々が、今月でその支給が終わる。

仙台市の周辺では、ホームレス予備軍が増加していると言われている。これから東北は厳しい季節がやって来る。行政の支援が急務だ。

Syouzi

先月陸前高田で目にした言葉だ。『海よ俺たちの心は折れていない』

東北の大地が悲しみに包まれた。この大きな災害で挫けそうにならない者などいないだろう。しかし、僕らは生きなければいけない。

避難した人も、ここで生きることを決意した人も、生きなければならない。海も大地も必ず再生する。それは20年後かも知れない、半世紀かかるかも知れない。諦めたら何も希望は生まれない。

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コメント

かねごんさま

めざましテレビのキャスターが急性リンパ性白血病で
入院したという情報を、熊本の院長先生のブログで
拝見しました。

チェルノブイリをかなり勉強できた幸福者です。
皆様をとても心配しています。
息子さんほか、若い方はとくに。

人間の欲望は果てしなく、地球を食いつくしながら、
世界は近くなりました。
若い人は少し視野をひろげて、
こちら大陸でしばし働くという選択肢も経験かなと、
ものすごく唐突ながらひらめきを、お伝えします。

定住日本人5万人、流動を入れると10万。
言葉ができなくてもとりあえず暮らせます。

お返事なんて全然必要ありません。

非常出口は常に確保ってことで。

(かねごん)
stayhungrystayfoolish様コメントをありがとうございます。
僕は沈没船の船長でもなければ、ナビゲーターでもありません。
自由に行動をとるつもりです。僕なりに限界は考えています。
子どもたちを残して北国を去ることは、ないと思います。
この故郷を愛しています。それ以上に子どもたちを。

仮設を利用できるのは2年
失業保険は今月で終わる、

ここ京都でも千数百人の人が避難して暮らしています
提供されている住宅はさらに1年延長となり
ひとまずホットしましたが、
でもアッというまに月日は過ぎ去ります。
その後どうするのでしょう

避難先で自立できない人々は否応なく汚染されてしまった大地へと帰っていくしか選択肢はないのか

この国の冷たい対応に血の気の引く思いがします。

小さい子供を連れての母子避難は日々過ごしていくだけで
経済的にも精神的にも重い負担がかかります

すこしでも余力のあるものが力を合わせ繋がって
行動をおこさなければと考えていますが

テレビでは「繋がろう日本」というコマーシャルが流されていましたが

心を1つにして繋がっていくことの難しさを実感しています

(かねごん)
yaeko様コメントを頂きありがとうございます。
放射能に対して、知らないふりをしている人が多くいます。
台風や寒波のようにやり過ごせばなんとかなると思っているのかも知りません。
しかし、防御なき生活は本当に危険だと思っています。

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