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2011年10月24日 (月)

4年間のブログの中で一番切れた記事

僕の知人たちが何人か一関市を去った。親戚を頼って沖縄に子どもを連れて行った人。岩手県の北部に移って行った人。そしてもっと遠く、外国に移住することを考えている知人もいる。

北関東から太平洋側の東北地域は、もう人が住める状況じゃないと言い切る人もいる。実際は数百万人が生活している。每日。

こんな状況になってもまだ原子力に頼り、利権とお金を求め続ける人間が日本には多くいる。人は人、自分は自分。しかし最低のルールはある。人を殺してはいけないというルールだ。

僕がこのブログで放射能の警告を書き始めたのは4月のはじめだった。この記事『不条理に対する怒りだ』が僕の怒りの始まりだった。

4年間のブログの中で一番切れまくったブログだった。

その頃、一関の牧草地では牛がのんびり一番草をほうばり、岩手県産の野菜は普通に都会で消費されていた。

突然のメルトダウンの後出しジャンケン。至る所で高濃度のセシウムが検出され、同時に政府と東電はダンマリを始めた。

放射線量を学校の周辺で計っていた公立の学校の先生が、余計なことをするなと上からたしなめられたという話が、僕の耳に飛び込んできた。ガイガーカウンターを購入し、計り始めた僕は、高濃度の放射能汚染に愕然とした。

Syouzi

福島県となんら変わらない値ではないか。なのに市も県も国も、何も言わない。何もやらない。僕の塾ブログが放射能警告ブログとなった。

書いても書いても、僕は虚しさを感じ続けた。自分の無力感に苛立ちを覚える日々だった。テレビはお笑い番組が日常化し、福島第一原発のニュースがテレビから遠のいて行った。

学校給食では地元産の食材が普通に使われ、プールに子ども達が入らされ、そして小雨の中を運動会練習する光景が繰り広げられた。校庭そばの側溝が10マイクロシーベルトもあったのに。

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コメント

かねごんさんのような方が発信し続けてくれているからこそ、私は勇気を出して一関を出ようとしています。

だれの応援もなく、ものすごく怖いですが、子ども2人を連れてこの冬、遅くとも来春には出ていきます。

私は自分の子供たちしか守れませんが、かねごんさんはたくさんの子供たちを守るきっかけを作ってくれています。

本当にありがとう。

(かねごん)
コメントを頂きありがとうございます。
人生は決断の連続だと思います。この時代、この土地に住んでいるのも偶然ではないと思います。
お子さんとあなた様に幸福な未来が待っていることを心より祈願申し上げます。

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