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2011年10月19日 (水)

無礼講といえども侮れない

成績が良くて頭がいいからと言って、精神が強靭とは限らない。逆に繊細で脆いがゆえに、勉強にいそしんでいる生徒だっているはずだ。

出された宿題もレポートもそっちのけで、平気で学校に来る生徒の中に、タフガイで世の中の荒波を乗り越えて行く者がいたりする。

「こんな宿題一つやってこない奴が、世の中に出て仕事なんな出来ねだろう」などと怒鳴られる生徒が多くいる。宿題はやらないが、お金の事となると俄然頑張る奴がいる。学歴も何も関係ないねとばかり、人の嫌がる仕事や、敬遠する仕事を、何でもござれとやりまくる者がいる。

そんな若者たちを見ていると、人間の幸福の尺度というものを思わず考えてしまう。

大学さえ入れば、何か時別なステージが待っているような気がして、勉強を頑張っている生徒が多くいるが、気の毒だが「それは当て外れだよ」と言いたい。

大学入試で必要な知識など、長い人生において、ほんのちょっとの知識にすぎない。まして大学で学ぶ学問も、実益のあるものは少ない。

大学に入ったからとか、大学を出たからと言って自惚れていると、どんどん世の中に取り残されて行ってしまう。日々進歩、日々努力、日々学びだ。死ぬまで受験勉強みたいなものだ、人生は。

そういう意味では人生ってやつは大変だけれども、逆に生き甲斐があるってもなじゃないだろうか。

ゆえに人間は学校の成績がいいだけでは駄目だ。才覚がなければいけない。才覚というのは、言ってみりゃ人が求めている空気感を読み取る能力だ。気が利くというのか、自分の立場や役割を瞬時に察知する能力ってところだろうか。

学生に酒を飲ませてみると一発で分かるものだ。だから酒の宴というのは、無礼講と言えども侮れない。

学生の頃、居酒屋の一杯飲み屋に行っては、僕はいつもサラリーマンオヤジ達にいじられていた(・・笑い)。とくに団塊の世代の先輩諸氏は、「東大の赤門前でバリケードをはってさ~」なんていう話から始まって、最後はお馴染みの人生論へと説教じみたテンションは上がっていく。

僕の忍耐と社会のカオスを学ぶ道場だった気がする。

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