菅原道真夫人
塾屋サミット IN 一関 パート5
901年に九州の大宰府に左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)公の夫人・吉祥女(きっしょうめ、菅公夫人)は、同年奧州胆沢郡母体(奥州市前沢区母体)に3人の子供や従臣らとともに配流され、906年(道真公没後3年)悲嘆にくれながら42歳で他界した。
菅原道真は言うまでもなく学問の神様である。天神様として全国の神社に祭られている。学校の教科書では、894年に遣唐使を廃止した政治家として有名な平安人である。しかし権力争いの渦中に巻き込まれ、太宰府に幽閉された道真は失意のうちに人生を終えた。
その3年後に九州から1000キロ以上も離れたみちのくの地で、42歳の生涯を終えた女性がいた。菅原道真の妻吉祥女である。
今回のみちのくの旅で、ぜひ先生方に参拝して欲しかった祈りの場であった。
僕は5年前、家内と吉祥女のお墓に詣で、菅原道真の一家の無念さに思いを馳せた。左遷された夫と別れ、みちのくにやって来た心境はいかほどだったろうか。
道真が学問の神様として崇拝されるようになった今、この道真の妻の菩提樹も強烈なエネルギーを放射しているに違いない。
その後僕がこのブログをしたためるようになったのは、このエネルギーの放射に背中を押されてのことだったのかも知れない。
僕は、この祈りの場にブログが縁で集った先生方の、学問道のさらなる栄達を願い、山里を辞した。
このブログが一人でも多くの皆様の心に届いていただければ幸いです。
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コメント
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福岡には太宰府がありますので、菅原道真との縁が深い土地柄ですが、恥ずかしながら夫人のことは全く知りませんでした。とても興味深いです。勉強させてもらいました。
(かねごん)
鳥羽先生こんばんは。
僕も10年くらい前に知った事実でした。
人間の歴史は深いですね。
投稿: terakoya | 2011年10月13日 (木) 09時03分