因果関係がない
僕はこのブログで何度か父のことを書いてきた。僕の反骨精神というか、人によっては激情的とも捉えられかねない性格は、多分に家庭環境の中で培われてきた所が大きかったのではないかと思っている。
僕が小学校の4年生の秋の頃だった。ちょうど今頃の季節だったかも知れない。大工仕事にバイクで隣町に通っていた父が、交通事故に遭った。重症だった。命は助かった。しかし加害者の運転手が未成年者で、保険に入っていなかった。和解は決別に終わり、裁判になった。
父は、リハビリを含めて1年ほどの入院を余儀なくされた。僕の家の家計は一気に苦しくなり、生活保護をもらうことでなんとか食いつないだ。
退院後、今度は顔の骨の癌が発見された。仙台の東北大病院で、左顔面の3分の1の骨を削り取る大手術だった。父は蓄膿を患っていたが、長い間寝たきりになることで、蓄膿症が悪化し骨が悪性になった可能性がドクターから指摘された。
裁判ではもちろん、そういう意味で交通事故との因果関係が争われたが、結局、癌との因果関係はない、という判決に終わった。僕が中学校を終えるまでかかった長い裁判だった。
交通事故に要した入院費と、その間父が働いて稼いだであろう生活費が、加害者の親から支払われただけだった。
中学校時代、兄弟のいない僕が寂しさを紛らわしたのが、部活の卓球と、中1の冬に叔父や叔母からもらったお年玉を貯めて買った、ヤマハのフォークギターだった。
家の農作業と卓球と、そして真夜中まで弾きまくったギター。勉強のべの字もしない僕は、県立高校が受かるわけもなく、私立高校に、それも2次募集で何とかいれてもらった。
私立高校の授業料は、奨学金とバイト代で、自分で3年間工面した。卒業後東京の私大に入ったが、4年間の授業料も自分で何とかまかなった。
父の無念さに対する想いもそうだが、僕は、社会に対するモヤモヤ感をずっと抱いて、ずっと引きずって、子どもから大人になって行った気がする。そしてそのモヤモヤ感がまたここに来て、僕を強烈に揺り動かしている。
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一関に甥と姪がいます。まだ小学生です。
とてもひとごととは思えず、毎日心配しています。
同じ県内でも線量が違うので夏休みなどの長期休みに県北の線量が低い地域に疎開できたらいいんですが。。
私も子どもがいるので食べ物、生活かなり気をつけています。旦那、両親、義両親は私をキチガイ扱いしていますが、病気になったところで誰も身代りになれないし、治らない病気になってしまったら、それこそ後悔します。一関の中学生が亡くなった原因は原発事故の影響でだと思います。因果関係を立証することが難しいなら、逆もまたいえるのではないでしょうか。
何もできない自分がもどかしいです。
(かねごん)
同じ県内のお母様、コメントを頂きありがとうございます。
ご心配のお気持ちは痛いほど分かります。
その不安の原因を、一日でも早く解明しなければならないのが、行政の仕事だと思います。
一関ではメルトダウンから7ヶ月がたって、ようやく放射能に関する動きが出てきました。世論に押され仕方がなくという感もしますが、一歩の前進であると思っています。
疑わしきは沈黙、という東北人の土壌があります。
変えなければ、子どもたちの安全が保証されません。
投稿: 同じ県内から | 2011年10月31日 (月) 11時09分