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2011年10月

2011年10月31日 (月)

振り子は少しの風でも揺れ動くものだ

『内容が正しいとしても、不必要に他人を煽るのは良くないですよ』

匿名さんという方からもらったコメントだ。実はあえて公開しなかった。

頭に来て公開しなかった分けでも、無視したかったわけでもない。僕が向きあうべき何か大切なことを教えてくれているコメントのような気がして、簡単にレスが書けなかった。

正しいことってなんだろうか。人の役に立つこと、人を幸せにすること、人を豊かにすること、いろんなフレーズが僕の脳裡でリフレインしていた。ひょっとしたら、人が普通に暮らせることを持続させることだろうか。そんなことを考えていた。そして4年間每日駄文を書いてきた、自分自身の存在価値みたいなものの希薄さを、しみじみと感じる僕がいた。

每日放射能の警告を書き続ける先生方がいる。反原発ブログ記事を每日収集しウェブで拡散している方もいる。一方政府の手下となり、反原発の過激twitterやブログを監視し、ユーチューブや写真を消去することに躍起になっている業者もいる。

それぞれの立場からすれば、みんな正しいことをしているのかも知れない。いやきっとそうだろう。

「一部のポイントから10マイクロシーベルトの値が出て、そこで生徒が亡くなったなんて証拠もないのに書かないでくれ。こっちはその値が日常化している所で必死で頑張っているんだ。煽らないでくれ」

福島の方から頂いたメールだ。このコメントも公開しなかった。上記と同じ理由で、レスが書けなかった。

なにも知らないまま普通に暮らし、食べ、そして飲んでいる方に、「ひょっとしたらそれは危険ですよ」と言うことが、間違った事なのだろうか。

「国が安全だと言っているのだから、それで良いだろう。余計なことをしないでくれ」と言うことは、正しいことかも知れない。そしてそういったことに違和感を持つ方の反応も正しいのだ。

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誰もが全く心がブレないということはない。振り子は少しの風でも揺れ動くものだ。その揺れが正しい方向に動いたときは、必ずサインや兆候があるものだ。僕はそれを信じている。

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2011年10月30日 (日)

因果関係がない

僕はこのブログで何度か父のことを書いてきた。僕の反骨精神というか、人によっては激情的とも捉えられかねない性格は、多分に家庭環境の中で培われてきた所が大きかったのではないかと思っている。

僕が小学校の4年生の秋の頃だった。ちょうど今頃の季節だったかも知れない。大工仕事にバイクで隣町に通っていた父が、交通事故に遭った。重症だった。命は助かった。しかし加害者の運転手が未成年者で、保険に入っていなかった。和解は決別に終わり、裁判になった。

父は、リハビリを含めて1年ほどの入院を余儀なくされた。僕の家の家計は一気に苦しくなり、生活保護をもらうことでなんとか食いつないだ。

退院後、今度は顔の骨の癌が発見された。仙台の東北大病院で、左顔面の3分の1の骨を削り取る大手術だった。父は蓄膿を患っていたが、長い間寝たきりになることで、蓄膿症が悪化し骨が悪性になった可能性がドクターから指摘された。

裁判ではもちろん、そういう意味で交通事故との因果関係が争われたが、結局、癌との因果関係はない、という判決に終わった。僕が中学校を終えるまでかかった長い裁判だった。

交通事故に要した入院費と、その間父が働いて稼いだであろう生活費が、加害者の親から支払われただけだった。

中学校時代、兄弟のいない僕が寂しさを紛らわしたのが、部活の卓球と、中1の冬に叔父や叔母からもらったお年玉を貯めて買った、ヤマハのフォークギターだった。

家の農作業と卓球と、そして真夜中まで弾きまくったギター。勉強のべの字もしない僕は、県立高校が受かるわけもなく、私立高校に、それも2次募集で何とかいれてもらった。

私立高校の授業料は、奨学金とバイト代で、自分で3年間工面した。卒業後東京の私大に入ったが、4年間の授業料も自分で何とかまかなった。

父の無念さに対する想いもそうだが、僕は、社会に対するモヤモヤ感をずっと抱いて、ずっと引きずって、子どもから大人になって行った気がする。そしてそのモヤモヤ感がまたここに来て、僕を強烈に揺り動かしている。

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岩手からのアクセスは2.7%だった

昨年1年間の僕のブログのアクセス数は10万件だった。つまり1ヶ月に1万人ほどの訪問を頂くブログだったのだが、今週1週間で、11万アクセスを超えた。

市内、県内、そして国内、海外から多くのメールやコメントを頂いた。9割の方々からは、ブログ記事に対する応援メッセージだった。一割の方からは、厳しい批判だった。『いい加減なことを書くな』、『何様のつもりで書いているんだ』、『証拠も何もないのに公表するんじゃない』等のコメントをもらった。僕はそのようなコメントはあってしかるべきだと思っていた。それぞれの立場、それぞれの考えがあってのことだ。僕の考えがあるように。

僕は全てのメールやコメントをじっくり読ませて頂いた。メールの宛名をしっかり書いてきた方のコメントは全部公開し、返答のコメントを書かせて頂いた。批判メールには、勉強させられる内容がかなりあった。僕が日頃注意をしていなかったことについての気づきを、随分学ばさせていただいた。

問題は批判メールではなく、暴言メールだと思う。僕もタフさだけは負けないつもりだが、脅迫や人格を傷つける言葉を投げかけられれば、かなりのダメージを受けるものだ。

きっと声を挙げたい人も多くいらっしゃるだろうと思う。しかしやって来る暴言メールにたじろぎ沈黙してしまう方も多いのではないだろうか。

僕らが初めてパソコンを手にした頃に比べれば、今のパソコンはかなりの進化を遂げている。一度やって来た暴言メールやエロメール等は、ブロックできるシステムが構築されているし、度を越した脅迫メールに関しては、送り先のパソコンを特定できるシステムも警察ではできている。そういったメールはたいていインターネット喫茶等が利用されているようだが、それにしても昔から比べるとだいぶ、環境は改善された。

僕の使用してしているブログは、訪問者のパソコンのIP番号が明記される。発信者の国名は分からないが、国内なら県名が表示される。いつも僕のブログは4割が県内の方からのアクセスである。今回11万アクセスの半分が東京だった。岩手からのアクセスは2.7%だった。

そこに侵入してくるのが、誘導メールだ。

「このアドレスの先生が、いいこと書いていますよ。ぜひ読んで下さい」送信先がコメントに添付されて来る。クイックするとウイルスチェックの警報が画面にでる。あぶない、あぶない。

メールもこれだけのアクセスが拡散すると、様々な仕掛けがやって来る。どんなに好意的なメールであっても、誘導されるアドレスは、むやみに開けてはいけないということを僕は警告したい。

ほとんどのパソコンにはウイルスメールに対するブロック機能が付いている 。しかしそれでも完璧ではない。書き手の精神だけではなく、パソコンそのものが危機に瀕する昨今の攻撃には本当に気をつけなければならない。ブローガーの皆様。お気をつけ頂きたい。

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2011年10月29日 (土)

放射能汚染マップ

中部大学の武田邦彦先生のブログ記事から転載させて頂きました。一関市民はまだこの地が放射能汚染されていることを知らない人がいっぱいいます。

一関市が全部危険な分けではありません。一関市は合併後東京都とほぼ同じくらいの面積になりました。線量が高いところもありますがそうじゃないところもあります。一関市の放射能汚染マップの作成が急務だと思います。お金がなくて遠くに行って暮らせないと言う声を多く聞きます。子どもたちが暮らすのになんとか大丈夫な場所も多くあるような気がします。絶望などしないで下さい。どこが安全でどこが住んでいけないのか、我々市民が逃げないで考えなければならないと思います。

【転載記事】

岩手の汚染状態について、斉藤さんが様々な視点からグラフを作っておられる。

このマップもその一つだが、早川先生と岩手大学の測定値をもとに福島原発からの放射性物質が岩手の中でどのように拡散しているかについてのものである。

これを見ると、福島から岩手へは2つのルートが考えられること、北上川にそって北上して盛岡まで達したことが判る。女川が独立に汚染されていることから、女川原発からの放射性物質の漏洩についても注意が必要だろう。

・・・・・・・・・

人間が他の動物より断然、強いのは「知は力である」という原則があるからだ。情報が正しく、細かいほど危険から逃れることができる。そのために私たちは公共放送、民法、そして新聞や雑誌という社会システムを持っているのだが、今回の事故ではそれが逆方向に働いたとも感じられる。また、私たちが多くの税金を払って仕事をして貰っている役所はどうやら「特定利益団体の出先」になってしまったからだ。

そこで、ネットなどを活かして、今後も多くの人が情報を交換することが大切だろう。

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奇跡がまた起きた

僕の記事に対し多くの真摯なコメントを頂いた。

昨夜コメントの返答を終え寝ようとした時だ。夜中の12時になり、僕のパソコンのコメント総数が止まった。777人で。

僕が唖然としてその画面を眺めていると、家内の一言。「神様に書けと言われているのね」

中学校で線量計が振り切れ、10マイクロシベールと以上の値が出たことを、ブログで書こうかどうか迷っていた時、僕は77の神様に自分を預けてみることにした。

自宅から塾まで16キロの道のりだ。信号機が6箇所ある。赤信号で停まった時に、対向車の車のナンバーが3箇所以上で77の車だったら、書こうと決意していた。

3箇所で奇跡が起きた。

昨日もそうだ。女房と自宅に向かう時も、最初の信号待ちの車が7777の車だった。今月の8日に一関で塾屋サミットをやった時の77の奇跡から、この数字の出現する頻度が加速している。何かが僕をつき動かしている感じだ。

今日友人の岐阜の美川先生が僕と小林先生に対する熱い記事を書いてくれた。酔っ払ったかねごんと小林先生の2ショットの写真まで公開して頂いた。感謝である(笑い)。

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その記事をスクロールしていくと、僕の塾の神棚が写っていた。神棚に日頃祈願している僕なのだが、あることに気づいた。それは神棚の御札の数・・・・・。塩釜神社の御札、駒形神社の御札をはじめとして7枚の神社の御札が祭られている。自分で祀っておいて気づかなかった・・・。

神社仏閣オタクの僕のブログの旅はまだまだ続きそうだ。しっかりと足元を見つめ、子どもたちのために、生きていきたい。

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2011年10月28日 (金)

なんとか頑張りたいと思います

半日間で4万件をこえるアクセスを頂きました。

今、昨日から頂いた50件のコメントのスレをすべて書き終わったところです。メールの返答を入れると、5時間ほどを要しました。ゆえに昨夜は睡眠時間1時間半でした。

全てと書きましたが、スレを書かなければと思ったコメントに対して全てです。僕も感情のある人間なので、全部は無理でした。ご了承下さい。

あとメールの返事がだいぶ残っていますが、なんとか頑張りたいとおもいます。

僕の塾は昨年20周年を迎えました。600名ほどの卒塾生がおります。多くの教え子たちから応援メールを頂きました。なんだか知らないけど涙がこみ上げてきました。塾教師を30年近くやってきましたが、この仕事をやってきて良かったと思います。

塾の一期生は今年38歳になります。子育て奮闘中です。放射能が心配でたまらないと言います。当然のことです。

多くの方より誹謗中傷のコメントを心配して頂きました。ありがとうございます。

大丈夫です。僕も50を過ぎたおじさんです。それなりのタフさは備えているつもりです。ブログをやめるのではないかとの心配も頂きましたが、4年間雨の日も風邪の日も、そして二日酔いの時も書き続けてきたブログです。ここで挫けてはかねごんの名が廃ります。

岩手は今夜は7度の気温です。寒くなりました。1週間前から持病の喘息が始まって止まりませんが、心は元気のつもりです。

今夜はもう寝ます。コメント等は明日以降の返答になるかと思います。ご了承下さい。それでは。

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この一言が大きなミスだった

ブログで公開しないでくださいという条件で、多くの方から今回の亡くなられた記事についての感想や意見を、地元中学校の父兄の方から頂いた。

おそらく文面からドクターだと思われる方からもメールを頂いた。放射能の病理研究をしている方からも、そして海外にお住まいの方からも。

僕は今回の放射能問題でマスコミや報道のやってしまった一番の大きなミスは、「この放射能の影響は40代50代以上にはあまり影響がなく、現れても20年後30年後」という表現だったと思っている。

「なに食ってもいいべ。おらどうせ放射能影響出たときは、天国だっぺよ」

そういった老人が周りでは殆どだ。僕の老いた母もそうだ。実はこのことが食の内部被曝を拡散している大きな原因だと思っている。

人間は利己的な存在だ。自分が大丈夫だと思うと、周りへの意識が散漫になる。県や市の方々のトップの方々も老人が多い。これは農作物を生産している農家にもいえることだ。小さなお子さんをお持ちの方などおられないだろう。話を聞いていると人ごとだ。

自分達の命にも関わって来る問題ならば、きっと対応は違っていたはずだと僕は思っている。

しかし自分の撒いた種は必ず刈り取らなければならない。今、この現状を知っている福島や宮城や岩手のそれぞれの町や村の責任者が、周りがやってないからここも良いだろう的な感覚でいるとしたならば、間違いなく彼らの将来も危うい。

僕は塾をやりながら、岩手の山里で農業を営み始めて20年になる。見えない敵はしっかりと自然が教えてくれる。

今年はホタルが家の周りを飛ばなかった。毎年夏になるとうるさくて眠れない程鳴なくウシガエルの声が一切なかった。例年なら森にこだまするカッコウの声も、今年は聞いていない。何かが山で起きている。

そんな僕の家の周りを線量計で測ると0.12マイクロしーべルトだ。家の中は昨日も測ったが0.08マイクロシーベルトだった。世間で言えば、全く問題のない線量だ。しかし自然は全く問題がある。

僕が発している警告が単なる思い過ごしであることを、本当に願いたい。

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なんのために書き続けているのだろうか

一関市は10月20日、9月26日から10月17日までに、市内の小中学校など138施設の放射線量一関中、花泉中、川崎中の中学校3校と無認可保育所のマルキの家ニコニコ託児室で、毎時10マイクロシーベルトを測定した。
高い放射線量が測定されたのはいずれも排水口、軒下等雨水が集まりやすい地点だった。
いずれも10.00ジャストなのは測定機器の上限値が毎時10マイクロシーベルトだったため。仮に毎時10マイクロシーベルトだった場合、年換算では87ミリシーベルトとなり、発ガンリスクの増加が指摘されている100ミリシーベルトに近い数値となる。の測定をしたところ、92施設489カ所で文部科学省の線量率目安を上回ったと発表した。

僕がブログで発表した数値がデマであるとか、アクセス数を稼いでお金を稼ぐための捏造である等の、厳しいお叱りを受けたが、上の文章は新聞等が発表した文面そのままである。僕が捏造した数値でも何でもない。

下の放射線量は先ごろ一関市が発表したものだ。

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ちなみに僕のブログにはアフィリエイトも一切掲載していないし、田舎の個人塾がブログランキングで上位にきた所で、何も変わることなど無い。ましてどこからかお金を頂くわけでもない。

日々粛々と4年間每日ブログを書き綴ってきただけである。何故にか。きっとそれは書かずにはおれなかったからだろうと思う。

多くの方からコメントを頂いた。全部に返信文を書きたいところだが、寝れなくなるので、途中でギブアップしたことをお許し願いたい。

それとあまり心臓が丈夫でないので、脅迫めいた文面も出来ればご遠慮願いたい。世の中には多くのご意見があることを学ばせて頂いた。

思えば4月からずっと放射能の記事を書き続け来た。前回も書いたが、さすがに筆を置こうとしたことも何度かある。そのたびに多くのご父兄や読者の方々から励まされ、そして書き続けてきた。

一番いいのは、かねごんはあんなに放射能の警告を書いてきたが、なんでもなかったんじゃないかと、将来言われることが僕の希望である。しかしその希望はどうも厳しいようだ。

僕が生きている間に、何らかの結末を見ることはひょっとしたら出来ないかも知れない。でも僕は子ども達が心配だ。

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2011年10月27日 (木)

10マイクロシーベルトを超える中学で生徒が亡くなった

今日のこの記事を公開するかどうか丸二日僕は悩んだ。多くの保護者の方や生徒から事実を伺った。僕に話して頂いた方々の気持ちは十分分かっている。しかしあまりのも衝撃的な事実に僕の筆は止まったままだった。

亡くなられたご両親のお気持ちを考えると、心痛極まりなく、おいそれと記事にできるようなことではなかった。

しかし事実だけは書かなければならないと、ここにしたためる事にする。全て固有名詞は伏せさせて頂く。

市内の某中学校の3年生が、先週校舎内で倒れ、意識が無いまま病院に搬送され亡くなった。クモ膜下出血による死亡だった。

その中学校は中庭が10マイクロシーベルトを超える高濃度汚染ポイントがあった。亡くなった生徒は運動部に所属しており、活動場所もその中庭での運動が多くあったという。

学校ではその高濃度の線量が新聞で報道されるまで、いっさい生徒たちや保護者らには伝えられていなかった。

ここまでが客観的な事実である。僕はこれ以上のコメントも詮索も控えさせて頂く。

生徒によるとそこの中学校の先生方も、僕のこのブログを読んでいるとのことだった。教室によっては空間線量が0.5マイクロシーベルトを超えているという。

僕は動揺を通り越して、この話を聞いたあと、塾からの帰り道、車内で泣いてしまった。悔し涙である。

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2000稿目の日記

2007年9月から書き始めたこのブログも、今日のこの記事が2000稿目となる。

わくわく日記というタイトルとは裏腹に、壮絶な日記になってしまった。書き始めた4年前、まさか僕のブログが放射能警告ブログと化し、こんな状況で日々書き続けるとは夢にも思わなかった。

僕がブログを始めるきっかけは、女房の命令だった。文章を書くことと曲を作ることに、没頭する僕の習癖を、彼女は見逃さなかった。なんの取り柄もない男だが、文章を書くことと曲を書き続ける根性だけは、中身はともあれ、備わっていたようだ。

最初手本とさせていただいたのは、女房の叔父であり、富山で塾を営んでいた奥村先生だった。先生は夏に癌の摘出手術をした。富山国際学院の理事を経て塾を廃業し、学院長に就任してからは、世界を飛び回る日々で、本当に多忙な每日だった。快調とは正直行かないかもしれないけれども、ご自愛頂きたい。ブログで公私ともに大変お世話になりながら、未だお見舞いにも行っていない無慈悲な姪とそのダメ旦那をお許し願いたい。ちなみにブログの一人称が『僕』を使っているのは、奥村先生の影響である。

そして何よりも、僕の脳天を直撃したのがとよ爺先生のブログだった。とよ爺先生には全く失礼な話だが、あの分量とレベルは、きっと塾内で何人かのゴーストライターを駆使しているものと僕は勘ぐっていた。10日間ほど每日先生のブログを読ませて頂いた。僕も職業柄様々な文章を読んできたけれど、間違いなく先生自身が全身全霊で書き綴っているブログ記事だった。

あの教育ブログの大家であるとよ爺が、僕の軽トラックに乗り、僕の自宅に訪れるなど、4年前、夢にすら思わなかった。人生は不思議である。論客であるとよ爺先生に憧れて書き始めた記事を、何度もとよ爺先生にご紹介頂いた。先日などはそのとよ爺先生の紹介記事が、つばめひこうきさんを経由して、俳優の山本太郎さんにTwitterで紹介頂き、僕のわくわく日記が、恐れ多いことにも全国教育ブログでいきなりの2位になってしまった。

奥村先生やとよ爺先生の存在がなければ、僕は4年間も每日ブログを書くことなどなかっただろうと思う。両先生には本当に感謝で一杯である。

2年前、とよ爺先生が「かねごん先生とジャズ喫茶で一緒にジャズを聞きながら教育を論じたいものですね」とコメントを頂いただが、今回の一関での塾サミットでは、カフェ・モリソンでそれも実現した。

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今度は奥村先生とのジャズ談義を実現したいかねごんである。

富山国際学院は12名の先生方で陣頭指揮をとっているとのこと、奥村先生の手腕がまだまだ必要だと思います。日本に富山国際学院を頼ってやって来る留学生のためにも、無理をなさらず、粛々とご自愛下さいませ。

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2011年10月26日 (水)

岬めぐり

僕が今までで一番多く訪れた岬は、気仙沼市の岩井崎だ。中学、高校時代、60キロ離れた花泉の自宅から、自転車で岩井崎まで往復したこともある。

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この岬から眺める太平洋が好きだった。気持ちが大きくなれた。自分が世界に繋がっていることを実感出来た場所だった。

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津波で岬の松は全てなぎ倒され、美しい景観は消えてしまった。浜辺に降りると色とりどりの美しい貝殻がいっぱい拾えた海岸は、崩壊した。今だに今回の震災が夢のようだ。いや夢であって欲しいと思う自分がいる。

岬めぐりを口ずさみながら走った、少年の頃の海岸線を僕は思い出していた。

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プレアデスカラー

放射能問題をブログで書き始めた頃、「心配すぎですよ」などと揶揄されたことが何度かあった。

僕はメルトダウンがあった後の3月20日の雪の日、ただならぬ空気感を感じた。直感と言っていいかもしれない、いや霊感みたいな感覚に襲われた。

僕は決して霊やお化けのたぐいとは遭遇したことはないのだが、だいぶ人とは変わったセンサーを持っている。ご存知の方も多いのだが、僕は色弱で、黒と赤や、紫などの識別感覚が非常に鈍い。塾では赤ペンと黒ペンをよく間違えて丸をつけることがある。

そんな僕が勝手にプレアデスカラーと呼んでいる現象に遭遇する。体調が悪かったり何か悩みがあって、人に相談したり、整体や鍼灸などを受けている時に、脳裏にブルーの斑点が点滅すると、身体が急激に好転したり、悩みの解決策が瞬時にやって来るのだ。僕はそれがプレアデス星団(スバル)の色に似ているので、プレアデスカラーと呼んでいる。

その色が現れ始めたのは、小さい頃からだった。塾教師を始めるようなになった頃、天体の写真集を見ていたら、プレアデスの星々の美しいブルーが目に飛び込んできた。僕の脳裏に点滅する光とそっくりの星だった。

そのころから自称プレアデス星人などと、生徒の前で冗談を言ってきたわけだが、震災後、「僕はプレアデス星人と遭った」などとマジ顔で言う大人が僕の周りで増え、正直戸惑っている。しまいには円盤に乗ったなんて人まで現れた。震災のために情緒不安定になり、幻覚や幻聴を見ているのだろうかと疑ったほどである。

そんな頃、僕のブログの読者の方から「かねごんさん、福島第一原発で働いている人達が、周辺で頻繁にUFOを見るらしいですよ」というメールを頂いた。24時間ライブ映像で流されている福島第一原発の映像にも、無数に飛んでいるUFOが写っていた。

3月の雪の日に、すごく深い哀しみが僕を襲った。人生に於いてあんな感情に支配されたことはなかった。『なんだろうこの風景から感じる虚脱感は 』ひょとしたら何かとんでもないことが起きているんじゃないだろうか。

津波に流された沿岸の街の風景、それだけでも当時の僕は打ちのめされていたのだが、それ以上の胸騒ぎが僕に襲ってきた。

異常をいち早く察知したのは、僕や女房の舌だった。外にいると舌がピリピリする。こんな感覚は50年以上生きてきて初めてだった。放射能?!そう考えた時、猛烈なプレアデスカラーが僕の脳裡で点滅した。

ししばらくして痛風の薬を頂きに、いつもの整形外科に行った時のことだった。先生が僕にこんなことを話してくれた。

「友人の医者がたまたま医療用の線量計を持っていて、3月の雪を測ったら、振り切れたって言ってましたよ」 

僕の不安は確信になった。放射能の警告を書き続けなければならない。僕は涙が溢れるほど怒りと哀しみが交錯していた。

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2011年10月25日 (火)

ベラルーシの教訓

かねごんさんはメッセンジャーなんですから書き続けて下さい。訴え続けて下さい。そんなメールを多く頂くようになった。勇気を頂く言葉ではあるが、正直フレッシャーでもある。

ちょっとした会合などで、「ブログ読んでますよ!」などと声をかけられると、ドキッとしてしまいたじろんでしまう僕がいる。

昔のカルビーカッパえびせんのCMではないけれど、やめられない止まらないの状況に、自分が追い込まれた感じがして、2ヶ月前などは、ブログを休息しようと思った自分がいた。

50を過ぎた初老男のマスターベーション的な自己満足じゃないかと、一向に進展しない国や県や市の対応に苛立ちと絶望を感じていた。

今日の岩手日々に一関市長のコメントとして、「放射能の問題に強い危機感を覚える」みたいな記事が載っていたが、今まで危機感がなかったのかよと、マジにどつきたくなる気分だった。メルトダウンからもう何ヶ月が過ぎたというのだろうか。

広島水爆の40倍とも60倍とも言われる大量の放射能が降り注いでしまった東北、北関東。多くの町の空気線量が0.5マイクロシーベルトを超えている。

僕はチェルノブイリ事故で汚染されたベラルーシの現状を何度かこのブログで書いてきた。事故後、0.28マイクロシーベルト以上の放射線量の村が全て廃村になっている。事故の7年後あまりに多くの子どもたちが、甲状腺癌やリンパ癌にかかり、村が閉鎖させれたのである。

チェルノブイリから180キロ圏内のほとんどの村が消えた。

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この事実を知って、黙っていられる人間はいないだろう。東北のほとんどとは言わないが、0.28を超えない町を東北・北関東で探すことの方が困難だ。

癌だけじゃない。0.3マイクロシーベルトを超えれば、心臓発作やクモ膜下出血等のリスクが急に増えることが、報告されている。

幸いにも、僕の自宅も教室も線量は0.06~0.09の値だ。しかしちょっと離れた田んぼを測ると線量はだいぶ高くなる。

市内の中学校では、教室内の放射能値が0.5マイクロシーベルトを超えている所がある。学校の先生は「安全です」を連呼しているが、僕は根拠を知りたい。

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2011年10月24日 (月)

4年間のブログの中で一番切れた記事

僕の知人たちが何人か一関市を去った。親戚を頼って沖縄に子どもを連れて行った人。岩手県の北部に移って行った人。そしてもっと遠く、外国に移住することを考えている知人もいる。

北関東から太平洋側の東北地域は、もう人が住める状況じゃないと言い切る人もいる。実際は数百万人が生活している。每日。

こんな状況になってもまだ原子力に頼り、利権とお金を求め続ける人間が日本には多くいる。人は人、自分は自分。しかし最低のルールはある。人を殺してはいけないというルールだ。

僕がこのブログで放射能の警告を書き始めたのは4月のはじめだった。この記事『不条理に対する怒りだ』が僕の怒りの始まりだった。

4年間のブログの中で一番切れまくったブログだった。

その頃、一関の牧草地では牛がのんびり一番草をほうばり、岩手県産の野菜は普通に都会で消費されていた。

突然のメルトダウンの後出しジャンケン。至る所で高濃度のセシウムが検出され、同時に政府と東電はダンマリを始めた。

放射線量を学校の周辺で計っていた公立の学校の先生が、余計なことをするなと上からたしなめられたという話が、僕の耳に飛び込んできた。ガイガーカウンターを購入し、計り始めた僕は、高濃度の放射能汚染に愕然とした。

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福島県となんら変わらない値ではないか。なのに市も県も国も、何も言わない。何もやらない。僕の塾ブログが放射能警告ブログとなった。

書いても書いても、僕は虚しさを感じ続けた。自分の無力感に苛立ちを覚える日々だった。テレビはお笑い番組が日常化し、福島第一原発のニュースがテレビから遠のいて行った。

学校給食では地元産の食材が普通に使われ、プールに子ども達が入らされ、そして小雨の中を運動会練習する光景が繰り広げられた。校庭そばの側溝が10マイクロシーベルトもあったのに。

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ハングリー精神を失ってはいけない

塾の協会でもなく、地域の商工会の集まりでもなく、まったくのプライベートな日程で全国の塾屋さんが個人的なツールを駆使して集まり会合をし、研修をした今回の一関での親睦会は、僕らの業界ではありえないイベントだった。

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その絶対ありえない出逢いを演出したのは、神奈川・学心塾のとよ爺先生であり、岐阜の上野先生、そして美川先生であった。

そのきっかけの第一歩はこの塾ブログであったわけだが、今回の震災や放射能問題、そして平泉の世界遺産登録が、吸引力となったことは間違いない。

このブログも後数稿で2000稿目を迎える。4年間で6000稿近くという前人未到の塾ブログを書きしたためるとよ爺先生の足元にも及ばないが、このブログのお陰で、全国に竹馬の友のような友人が多く出来た。コメントやメールを通じ、日々多くの励ましや気づきを頂いている。こんな嬉しいことはない。4年間塾ブログを書き続けてきて良かったと思っている。

先日岐阜の上野先生が、「私は不器用で、塾屋を全うするしかない」と語っておられたが、教育に熱い情熱を感じる言葉だった。

先日、震災復興のチャリティー支援を企画している方とお話する機会があったのだが、「政治や教育はどうしておかしくなってしまったんでしょうか」と嘆いておられたが、僕は政治家も教育者にもハングリー精神が消え、弱者の痛みを共有できない人達が増えたことが、一番の原因ではないかと考えている。

お金の安定を得ることで、賢者であるべきものが大切なものを忘れてしまったのではないだろうか。幸か不幸か僕ら塾屋は、毎年生活が生きるか死ぬかの戦いだ。生徒が来なければ、講師の生活も、自らの生活も崩壊する。必死にならない塾屋などいない。

そのことは私立高校も同じだ。少子化の時代、私立高校の先生方は寝食を忘れ、生徒たちの就職や進学のために、全国を駆けずり回っている。本当に頭が下がる。

震災で多くの子どもたちが被災した。その傷はまだまだ癒させることはない。そして放射能の恐怖が日々降り注いでいる。いま我々大人が頑張らなくて、いつ頑張るというのだろうか。

ハングリー精神を失ってはいけない。

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2011年10月23日 (日)

自分の子どもは自分で守ってください

今夜夕食を終え、PCを開くと僕のブログにとんでもないアクセスが入っていた。数時間で通常の10日分のアクセス数だ(冷や汗・・)。夜中までに一日のアクセス数が、数万アクセスに達しそうだ。

反原発・放射能ブログの僕の塾ブログがどこかで何かしでかしてしまったのだろうかと、疑心暗鬼・不安が僕の心で錯綜する・・・。

アクセス元が判明した。

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なんと俳優の山本太郎氏が僕のブログをTwitterで紹介していたのだ。恐れ多いというのか、恐縮というのか、なんとも言葉が見つからない。

雨が降るたびに東北の放射能の線量が上がっている。福島原発から170キロ離れた一関市では一部地域で10マイクロシーベルト。200キロ離れた奥州市でも7マイクロシーベルトの学校がある。

世田谷でラジウムのために線量が高かった時はマスコミは大騒ぎで、東北のこの危機的状況に対しては、ダンマリを決め込んでいるメディアはいったいどういう事だろう。

東京の世田谷のように人が一杯いるわけじゃなく、せいぜい20万人の人達が困ることはどうでもいのだろうか。困るといっても命に関わる大変なことだ。おかしい!

教育の現場である中学校が大変な線量になっているのに、誰も地元の教育関係者がそのことに言及しない状況はおかしい。

地元の小子供たちのために、吠え続けている小林先生のような人が、なぜ多く出てこないんだろう。

声を上げないのも僕は犯罪だと思います。

保護者の皆様、教育委員会も学校もあてにできません。自分の子どもは自分で守って下さい。お願い致します。

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一人芝居

日々学校の放射能値が上がっていく。

錯覚だろうか?

誰かが悪いデマもでも流しているのだろうか。

ガイガーガウンターが振り切れた? 嘘だろう。

単位の設定ミスじゃないの?

違うらしい・・・。

校庭の土に問題があるって誰かが言ってたよ。

・・・・五ヶ月前に。

セシウムを吸収しやすい土だって。

小学校や中学校の先生達わかってたんだろう。

どうかな。

本当に知らなかったらしいよ。

こんなにみんなが言っていたのに?

授業や公務で忙しかったんじゃないの。

先生たちみんなパソコンで見てるよ。いろんな情報。

じゃ知らなかったって嘘かな。

今頃除染だって言って騒いでいるけど、

すでに生徒たち砂埃のなか校庭で遊んでいたよね半年間も。

誰が責任取るんだろう?

プールもずっと入ってたし・・・。

そういえばどっかの塾の先生ブログで書いてたよね。

雨の日は子どもたちを外出させるなって。

市長あてに放射能の数値の開示の嘆願書出してたよね。

あれからどうなったんだろう。

急に放射能が湧いて降ったように騒いでいるけど、

半年以上も前の話だよね。

メルトダウンしたの。

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2011年10月22日 (土)

どこでも生きられる!

今日は雨だ。今年の雨は憂欝だ。雨のたびに山に降った放射能が低地に流れ出し、そして上空の放射能が溶けて落ちてくる。

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為す術もなく、この状況に耐えているだけではだめだと思う。責任の所在ははっきりしている。空間線量が1マイクロシーベル以上の地域の移動(移民)を援助し、生活を保証する制度が必要だ。

東北人は耐え過ぎる。いつでもそうだった。言葉を押し殺し、耐えて耐えて耐えてきた。

『がんばろう東北』 もう頑張らなくていい。逃げたい人は逃げるべきだ。東北の復活は無理だと思っている人は、関西や九州に移動し、生活を立て直せばいい。プライドや故郷愛を捨てるわけではない。命を守ることがたいせつだ。

子どもたちは未来の地球の宝だ。

どれだけお金のために、政治の無力のために、僕らは犠牲を強いられてきたのだろう。でも人間は弱くない。どこでも生きられる。絶対!

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2011年10月21日 (金)

ガイガーカウンターが振り切れた

一ノ関市内の中学校で、ガイガーカウンターが振り切れたことを、実はある教諭から聞いていた。地元の方々には個人的に警告を発していたが、ことがことだけにブログで公表することが出来なかった。今日の岩手日報で、一部10マイクロシーベルトを超えた施設がある中学校名が公表された。

花泉中学校、一関中学校、川崎中学校である。市教育委員会は除染を急ぐとしているが、あまりにも遅すぎる対応だ。メルトダウンからもう半年以上も経っている。あれほど危険であると警報を発してきたにも関わらず、ここにきてようやく生徒の立ち入り禁止処置と言うのはいかがなものだろうか。

雨樋や水路付近のガイガーカウンターが振りきれるという状況は、いかに雨の中に多量の放射能が含まれているかの証拠なのに、小雨の降るなか校庭で運動をさせている小学校の状況はあり得ない。何度言っても寝耳に水であった。

実は僕は12年間小学校でサンタライブをやって来た。今回も読み聞かせのお母さん方のグループより出演の依頼を受けたが、高校の授業の日程と重なったこともあるのだが、小学校の対応に対する抗議の意味も含めて今回は辞退させて頂くことにした。

雨の中の線量が高いのは、放射能汚染された稲わらや牧草を焼却処分している農家が多いからだ。僕の家の周りの田んぼも、焼畑農業の如く、每日煙がたなびいている状況だ。

牧草や稲わらを焼かないで、ローリングしてシートで保存することが急務だろうが、そのためのトラクターと設備を購入すれば、数百万円はかかる。そんなお金などない。焼くしかないのだ。国はなんの手立ても金銭的援助もしてくれない。見て見ぬふりだ。

かねごん先生、放射能だいじょうぶでしょうか?そんな質問を夏前はよく尋ねられた。最近は、ここに住んでいてだいじょうぶなんでしょうか?と聞かれることが多くなった。

市や教育委員会が動こなければ、職業生命をかけて発言し行動を起こす教諭がでてしかるべきじゃないだろうか。上に意見を言える先生がいないのだろうか。厳重注意をされて首が危なくなるから警告をやめるというのでは、悲しすぎる。

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2011年10月20日 (木)

ブルーモーション

もう30年も前の話である。単線だった横浜線が複線となり、小田急線の町田駅と国鉄の原町田駅が、プロムナードで繋がった年の、ちょうど今頃の季節だった。

小田急ビルの通路に、岩手のほんぎょの田園風景がディスプレイされていた。

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イメージ的にはこんな写真だったろうか。きっと旅行会社のポスターだったと思うのだが、僕は不覚にも写真の前で、涙を流してしまった。

その年の春に祖父が亡くなった。小さい頃祖父の手伝いをしたほんぎょの作業を思い出し、そして望郷の念がこみ上げてきたのだった。僕はしばらくポスターの前に佇んでいた。

祖父が亡くなったのは、ちょうど田植えの頃だった。葬儀が終わり、皆が帰った座敷で、40代半ばの父が、祖父の遺影の前で、肩を震わせて泣いていた。まるで子どものように。そんな風に泣いている父の姿を見るのは初めてのことだった。

僕はその時、家族がいなくなるという経験を初めてした。秋の日差しが寂しくなる季節になると、あの時の都会の雑踏でみた風景を思い出し、あの時の感情に触れる。

自分の選んだ道はこれでよかったのだろうかと、幾度も自問してきた。40になっても、50になっても答えは出てこない。死ぬまで出てこないかも知れない。人生ってそんなもんだろう。

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ちょっとお疲れみたいね

想いは重い

コロコロ転がっていくビー玉のように

軽くなればいいのだけれど

どもう どうも そうはいかない

困ったなと思うのだけれども

仕方がない

それが僕の想いぐせだだから

Syouzi

嫌なことは

転がらないようにブロックしてしまえばいいかも

でもこれじゃいつまでたっても同じ所

重いまんまでごろごろ

みんなに迷惑かけながら

今日も転がっていく

ちょっとお疲れみたいね

女房の言葉

うん 疲れているよ

でも心はだいじょうぶ

さあ今日もがんばるか

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2011年10月19日 (水)

中3生平日コースあと一人だけ入れます

風邪を引いてしまった。鼻水が止まらない。咳が止まらない。

今日は着替える気力もなく、ジャージで塾へ行き。ぼ~と仕事をした。ドラゴン先生に助けられた一日だった。

喘息を併発してしまったようだ。う~今日はブログを書いて早く寝よう・・・。

そうそう中学3年生の塾生の皆さん。11月6日の日曜日、白ゆりテストがあります。受ける方は、10月26日の夜までに電話をください。受験料の3000円は試験当日でかまいませんので、とりあえず連絡を下さい。お願いします。

中3生が定員となり、9月31日で募集をやめましたが、、都合により10月で退塾する中3生がでましたので、平日教室はあと1名入れることになりました。希望者はどうぞ。

11月より日曜日教室を開講します。午後2時から5時30分までの間の指導となります。希望者は申し出下さい。料金等は平日指導と同じです。

さてだいぶ寒くなって来ました。風邪を引いてしまった僕がいうのも変ですが、風邪を引かないように気をつけて下さい。

Syouzi

一関市内の銀杏がだいぶ色づいてきました。今度の土曜日、日曜日は市内中学校の文化祭です。秋もいよいよ深まって参りました。

塾のそばの堤防工事が本格的に始まり、来年の春まで、一関一高に続く堤防下の道路が通行止めになっております。また夕方まで工事がありますので、ちょっとうるさくもあります。ご不便をおかけします。よろしくお願い致します。

防音及び寒さ対策として、教室の工事現場側の窓を本日2重サッシにしていただいました。大家さんいに感謝申し上げます。

今年もいよいよ大詰めになってきました。皆さん頑張りましょうね!

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粛々と・・・

塾屋サミット IN 一関最終章

3日目は世界遺産登録を果たした平泉中尊寺を訪問した。四畳半スクールの永田先生は、一足先に岩手を辞し、向上館の熊谷先生は市内の実家へと向かい、熟年塾軍団7人が、まだ朝霧がかかる月見坂を、本堂へと向かった。

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金色堂前でガイドさんに撮ってもいらった記念写真である。僕がブログを書き始める4年前までは、全く面識も何もない方々である。それが30年来の同窓生のような感覚で、遠慮無く議論し、騒げる不思議さ。岐阜や神奈川の塾屋さん方と、腹を割って飲んで歌う日々、これを奇跡と呼ばずして何を奇跡と言うだろうか。

3日間の車での視察は、170キロにも及んだ。77のレンターカーの守護もあり、怪我も事故もなく、天気にも惠まれ無事日程を終えることが出来た。

塾屋サミットなどという、横柄なタイトルでしたためてきた、今回の親睦会の記事だが、もっともっといろんな所に先生方をお連れしたかったかねごんである。

塾業界は冬の時代どころか、氷河期に突入したと言われているが、今回お越しいただいた先生方の塾は、想像を絶する努力と行動力で、躍進を続ける塾である。今回の研修では、本当に多くの事を学ばさせて頂いた。

ブログが縁で大きな大きなネットワークが生まれている。放射能の問題や、就活の問題、食の問題、そして教育の問題、僕は今後も謙虚に皆様からの意見を拝聴し、自分がやれること粛々とやっていきたい。

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無礼講といえども侮れない

成績が良くて頭がいいからと言って、精神が強靭とは限らない。逆に繊細で脆いがゆえに、勉強にいそしんでいる生徒だっているはずだ。

出された宿題もレポートもそっちのけで、平気で学校に来る生徒の中に、タフガイで世の中の荒波を乗り越えて行く者がいたりする。

「こんな宿題一つやってこない奴が、世の中に出て仕事なんな出来ねだろう」などと怒鳴られる生徒が多くいる。宿題はやらないが、お金の事となると俄然頑張る奴がいる。学歴も何も関係ないねとばかり、人の嫌がる仕事や、敬遠する仕事を、何でもござれとやりまくる者がいる。

そんな若者たちを見ていると、人間の幸福の尺度というものを思わず考えてしまう。

大学さえ入れば、何か時別なステージが待っているような気がして、勉強を頑張っている生徒が多くいるが、気の毒だが「それは当て外れだよ」と言いたい。

大学入試で必要な知識など、長い人生において、ほんのちょっとの知識にすぎない。まして大学で学ぶ学問も、実益のあるものは少ない。

大学に入ったからとか、大学を出たからと言って自惚れていると、どんどん世の中に取り残されて行ってしまう。日々進歩、日々努力、日々学びだ。死ぬまで受験勉強みたいなものだ、人生は。

そういう意味では人生ってやつは大変だけれども、逆に生き甲斐があるってもなじゃないだろうか。

ゆえに人間は学校の成績がいいだけでは駄目だ。才覚がなければいけない。才覚というのは、言ってみりゃ人が求めている空気感を読み取る能力だ。気が利くというのか、自分の立場や役割を瞬時に察知する能力ってところだろうか。

学生に酒を飲ませてみると一発で分かるものだ。だから酒の宴というのは、無礼講と言えども侮れない。

学生の頃、居酒屋の一杯飲み屋に行っては、僕はいつもサラリーマンオヤジ達にいじられていた(・・笑い)。とくに団塊の世代の先輩諸氏は、「東大の赤門前でバリケードをはってさ~」なんていう話から始まって、最後はお馴染みの人生論へと説教じみたテンションは上がっていく。

僕の忍耐と社会のカオスを学ぶ道場だった気がする。

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2011年10月18日 (火)

スティーブ・ジョブスその叡智

Apple社の創業者でありCEOのスティーブ・ジョブスが2005年のスタンフォー ド大学の卒業式で行ったスピーチで、歴史に名を残す素晴らしい演説です。

彼の存在がなかったなら文明は20年遅れていただろうと思う。スティーブ・ジョブスのスピーチは彼の素晴らしい人間性を余すところ無く僕らに伝えてくる。

僕も一度44歳の時に体調を崩し倒れた時から、人は必ず死を迎えるという当然の真理を改めて実感した。何気なく過ごす每日が、いかに奇跡の連続であり、人類の叡智の集大成なのかを考え、そしてそのことに感謝を感じた。

我々は一人では何もできない。愚かであること、未熟であること、そして無力であるからこそ、僕らは村を作り、町を作り、そして文明を築いてきた。

多くの人々の死の堆積が、人類の栄光を作ってきたと言っても過言ではない。僕の友人であり塾屋の大先輩であるとよ爺先生もブログで同じ心境を語っておられたが、このブログを始めたきっかけの一つに、家族や息子たちへの遺言としての意図があった。

僕の父は55歳で他界した。父が残してくれた多くの遺産を僕は精神的に受け継いできたつもりだ。僕が息子たちに残せるものが何かあるだろうかと思った時に、愕然とした自分がいた。

お金も財産もなにもない。しかし、もちろん多くの思い出と、そして僕の血はDNAとして引き継がれて行くだろう。

每日書きしたためる僕の日記。いつの日か僕と言う存在が、この地上から居なくなった時、何らかのメッセージとなり、子供たちに伝わってくれれば、僕は本望だ。

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禅宗的心

塾屋サミット IN 一関 パート7

確かに世界遺産に登録された平泉中尊寺は素晴らしい寺だが、僕が人生に於いて最初にはまった寺は、水沢の正法寺である。

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この寺の醸しだすオーラーはただ者ではない。日本一の茅葺屋根もさることながら、かつて曹洞宗の東北の本山として崇拝されたそのいぶし銀の輝きは、今も尚放たれ続けている。

今回おいで頂いた先生方を、ぜひお連れしたかった寺である。夕暮れの閉館時間ぎりぎりにたどり着いた僕ら塾軍団だったが、快く拝観させて頂いた。感謝である。

正法寺は、今からおよそ653年前南北朝時代の貞和4年(1348)、総持寺二代住職峨山紹碩禅師の高弟だった無底良韶禅師によって開かれた。かつては福井県永平寺と並び称された東北の曹洞宗本山であった。正法寺は現在、73の末寺を有する禅宗の中核である。

迷いが生じた時には、僕はよくこの寺を訪れ、本堂に座し、心を鎮めさせてもらった。時に蝉時雨が降り注ぐ季節であったり、桜が舞う季節であったりした。

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本堂の天井には伊達家の家紋が天井いっぱいに描かれている。中央に鎮座するのは北極星である。北天の空に微動だにしないこの星に、伊達政宗は、きっと不動の精神を学んだのかも知れない。塾屋にとっても同じである。

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2011年10月17日 (月)

負け犬の遠吠え

自分の人生を一言で言えば、挫折と再生の繰り返しと言うところだろうか。人生にもしもという仮定法を持ち込んでもしょうがないけれど、きっと僕は過去に戻ってもまた同じような人生を歩むんじゃないかと思う。

何の因果かトラウマか知らないけれど、横柄な権力者や、コネや要領の良さで地位を築いたような人間を見ると具合が悪くなる。品のないお金持ちもしかりだ。

つまりは負け犬の遠吠えなわけだが、それにしても自営業という仕事は、波乱万丈わくわくドキドキだ。そんなわくわくドキドキに付き合わされている僕の家族も大変だろうけれど、主人である僕を信頼するしかないわけで、仕方がないんだろうなと思う。

サラリーマン塾教師を辞めて、独立して早21年。なんとか家族に3度の飯を食わしてきたけれど、決して楽な暮らしではなかった。ストレスで何度体調を崩しただろうか。それでもなんとか仕事を続けてこれたのは、家族の支えと、塾生たちの学ぼうとするエネルギーに鼓舞されてきたおかげである。

僕が仕事に専念してきたことで、僕は家族を顧みないことが多かった。息子たちの教育に関しては、全く無頓着で、放任してきてしまった。市内で塾を営む方々は、子供たちを進学校に入れ、殆どが国立大学などに入れている。そうじゃないのは僕のところだけかも知れない。

進学校に入れないのは、成績が噛み合っていないためであり、大学に入れない(入れない)のは、僕の経済力のなさだ。僕の収入では息子を大学に入れることなど、到底叶わない。大学受験の指導をして、この矛盾と向き合い、自分の心と戦うのは正直しんどかった。過去形で書いてしまったが、今もそうだ。

家では僕はいっさい息子たちに勉強を教えない。いや正直に言おう。教えられない。昼の高校の授業をし、午後から夜10時まで塾で個別指導をし、帰宅する僕には、もはやエネルギーは残っていない。このスケジュールで僕のエネルギーが残っているとすれば、仕事の手を抜いているか、それとも余程の超人だろうと思う。これに農繁期は農作業がかぶってくるし、日曜日はボランティアの卓球の指導が入る。

僕は買って21年目になる軽トラックで通勤している。「塾を経営して、高校の講師までして、お金に不自由はしていないだろう。軽トラック通勤は貧乏人への嫌がらせか」などと、酔った席で絡んでくる同級生もいるが(・・笑い)、貧乏人である僕が貧乏人の嫌がらせなどするわけがない。

自宅は築40年程になる。自分で言うのもなんだが、それなりに簡素ながらきれいに保たれている。子供部屋もベランダも廊下の天井も、そして今月は台所の完全リホームも僕が一人でやった。父親は大工、祖父は桶職人だった。僕にもその手の血が流れているのかも知れない。金をかけないことに於いては、自信がある。

例年僕の塾には60名~70名の塾生が在籍する。人数を言うと同業者の先生から「この不況ですごいですね」などと、感嘆のお言葉を頂くが、ほとんどの塾生は週1コースの5000円の月謝だ。5000×70名、多い月で35万円ほどの売上になる。

教室の家賃、駐車場代、電話代、電気代、コピー機のリース料、そして每日往復する38キロの2台分のガソリン代を差し引くと、手元に残るお金は20万円にも満たない。それから毎月僕ら夫婦の3万円の年金と、健康保険税、種々の経費を支払うと、春先から夏にかけての生徒の少ない時期は赤字に転じてしまう。10月に頂く教材・光熱費でなんとか赤字分を補填するのだが、家計はいつも火の車である。

ゆえに農業を営み種々のバイトをこなしてきた。3年前からは市内の私立高校で、講師として雇ってもらっている。非常に助かっている。感謝でいっぱいだ。

21年前塾を始めた時は、東大や早慶の合格者を塾生から出すことが目標だった。その目標は叶ったものの、その代償もまた大きかった。父親としてはまったく失格だと思う。

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2011年10月16日 (日)

何かが起きている・・・・

ブログで縁を頂いたとよ爺先生が中心となり、神奈川、静岡、愛知、岐阜の7人の先生方が10月8日から10日まで一関に集い、親睦を深め合った。

おいで頂いた先生の数が7人ならば、借りてきたレンタカーのプレート番号が、2台とも77で始まる番号だった。

お越しいただいた先生方が各人のブログで、今回の旅について個性豊かな記事をしたためている。やはりどの先生もこの77の神様のいたずらにびっくりしたようだが、77の神様のいたずらはまだまだ続いている。

とよ爺先生がブログで77のプレート番号について、僕の神社参りの77の奇跡を折り込めながら書かれていた。そのブログ記事に僕は「塾軍団は77に守られているですね」というコメントを書いて送ろうとした時のことだった。

コメントを送信するためには、4桁の数字を打ち込むのだが、なんとその時のコンピューターが指示してきた数字は7777だった。僕は真夜中に、パソコンの前で絶句した。

ずっと前のブログで、『神社オタクの僕は、神社に神様のご眷属がいるかどうか分かります』という事を書いた。実は初めて行った神社や仏閣に参って、気持ちが良かったり、清々しかったりすると、神社を出て初めてすれ違う車のプレートナンバーが、必ず77の数字が含まれているプレートナンバーの自動車なのだ。

この現象は5年前から始まった。77の神様は完全に僕を監視しているようだ。

10月15日3名の塾生が入会した。本部教室と自宅のシュタイナー親子教室の在籍数が77名になった。

まだある。領収証があるので見たい人には見せることができるのだが、先生方がやって来る前の日、つまり10月7日にガソリンスタンド行って、軽トラックのオイルとエレメントを交換してガソリンを入れてもらった。費用は7077円だった。

何かが起きている。これを偶然と呼ぶことは僕にはできない。77の神様は今後僕に何を要求してくるのだろう。楽しみではあるが、この不思議さに戸惑っているのも正直な気持ちである。

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2011年10月15日 (土)

武田邦彦先生の記事より

中部大学武田邦彦先生の10月15日のブログ記事をそのまま転載しました。一関市・平泉の方に是非読んで頂きたいと思います。

(転載記事)

岩手の人もまた政府と東大教授の「虚偽」の犠牲になりました.おそらくは「遠くに逃げろ」とか「距離の二乗に反比例する」という科学的な間違いを信じて、「もし、放射線が来るとすると、宮城から徐々に岩手に来るだろう」と思っておられたのでしょう。

しかし、汚染や被曝は「距離」ではありません。「死の灰」が飛んできてどこで落ちるかが問題なのです。もし、正しい知識を持っていたら、田畑にビニールを敷くとか、気象庁と連携をとって危険な時には児童を待避させるなどの措置ができたはずです。残念です。

岩手県一関に落ちた死の灰は、宮城県沖から牡鹿半島を通ったものと奥羽山脈にそって北上したものがあるようです。それが2回に渡っているのか、一緒なのかも今のところ明らかではありません。

さらに残念なのは盛岡です。一関から北上川を北上した死の灰は盛岡で落下しました。

都市部は人間が住んでいますので、ビルがあったり周辺と温度が違ったりしていて死の灰が落下しやすい傾向にあります。関東の柏市、東京の新宿などと同じです。

自治体・教育委員会単位で実施することは、1)一関付近の0.5マイクロシーベルトの場所は自治体がさらに詳細に測定し危険な箇所に標識をたて児童を被曝から守ること、2)汚染地域にはできるだけ作物を植えないこと、植えた場合はベクレルを測定すること、3)0.125マイクロ以上の場所は自治体が警戒区域にして、詳細なマップを作り市民の被曝を抑制してください、3)子供の給食は北海道などの汚染されていない食材を使ってください(子供と土地は郷土の宝です)です。

個人レベルでは、1)ホットスポットの面積が小さいので、できるだけその場所から引っ越しをすること、2)買い物やレジャーに行く時には汚染されていない場所に行くこと、3)付近で線量率の高いところを避けることができるようにマップを作ること、です。

法律的に言えば(放射線防護の法律。もし自治体の人で法律を知らない人は武田に聞いてください)、0.5マイクロシーベルト以上のところはセシウムが4万ベクレル以上ある危険性が高いので、直ちに東電に電話してください、法律では事業者に次のような義務を課しています。

スポット的に汚染されても「法律を守り、冷静、科学的」に対応すれば被曝を最小限に抑えることができます。児童は大人と違い、感度が3倍、被曝チャンス3倍で約10倍の被曝を受けます。岩手の方が一致協力して一関、平泉、奥州市、盛岡の子供たちを助けることを願っています。

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礼節ある格好は運を引き寄せる

英語ができないから、数学ができないからと言って、その生徒が人間として劣っていることなど何もない。そんなことで人間を評価すること自体おかしいことなのに、生徒たちはそういった尺度で能力を測られ選別されていく。

日々高校や塾で教えていて感じることだが、教育の世界は全く理不尽だ。

努力をしない生徒には、それなりの理由がある。つまり努力することの動機付けを与えられることなく成長してしまった子供たちだ。幼少期の親の責任、家庭環境の責任は間違いなく大きい。

幼稚園や小学校の先生に躾やら何やら任せっきりで、家庭では一切放任してしまっている親ごさんがいる。子どもと一緒にゲームをやり、お笑いのテレビを見て、11時過ぎまで子どもを寝かせつけない親がいる。

真夜中のファミレスで、親と食事をとっている小学生を見かけたりすると心が痛い。日本という国はどうなってしまったのだろう。

若い親御さんは、自分の親とは一緒に住みたがならない。価値観の相違とかなんとか偉そうなことを言うけれど、寝たい時に寝て、食べたい時に食べる、そういった我がままができないから同居しないだけのことじゃないだろうか。

小学校の運動会や行事を見にくと、パンツが見えそうなミニスカートをはき、何色だか分からない髪の色をしたお母さんがいっぱいいる。失礼だけれども、賢母のイメージは全くない。

確かにアウトロー的な生き方も個性ではある。しかしその人の思考や感性は見た目に現れるものだ。侮ってはいけない。

今の日本人、特に若い親御さん方のファッションンは退廃的だ。ジャラジャラのネックレスをつけ、ダボダボのジャージー姿で、学校の敷地内を闊歩するお父さん方を見ていると、人間性はやはり服装にでるものだと僕は思ってしまう。

英語や数学はできなくてもいいから、せめて服装の身だしなみは、不快なものじゃないほうがいい。

僕は近年、教育で大切なことは、運がいい子どもを育てることだと、様々な所で力説してきた。礼節ある格好をすることも、運を引き寄せる大切なツールだと僕は思う。

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2011年10月14日 (金)

けいびけい or げんび ?

塾屋サミット IN 一関 パート6

一関市を代表する観光地に猊鼻渓(けいびけい)と厳美(げんび)がある。猊鼻渓は東山町の船下りで有名な景勝地であるし、厳美は栗駒山から流れる清流が創りだした奇岩の景勝地である。

今回神奈川、愛知、岐阜の先生方を、陸前高田を訪問した後、東山猊鼻渓にご案内したのだが、そこで必ず耳にする話がある。「間違って厳美に行ってしまって、慌てた」

一関駅に降り立ちタクシーに乗った観光客の皆さんがやるミステイク。厳美に行ってください言ったつもりが猊鼻渓と言ってしまって、なぜか一関の東端に行ってしまう。その逆もしかり。はっきり言って名前が紛らわしい。

ゆえに地元の僕らは東山の猊鼻渓を獅子ヶ鼻(ししがはな)と呼ぶ。岩に獅子のような鼻がくっついているからだ。

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今回の陸奥塾サミットのメンバーを、獅子ヶ鼻での集合写真で紹介しよう(ちょっとピンぼけではあるが・・笑い)。

1列目左端が岐阜志道館学園の美川先生。昼は整骨院の先生をやっているパワフルな先生だ。めちゃ歌がうまい。フットワークの軽さは一流だ。

その隣が熱海向上館塾長の熊谷先生。僕と同じ一関市出身である。気配りの天才である。彼のもとで働く先生方は、非常に働きやすいと思う。

その隣が、岐阜の塾屋・上野塾塾長上野先生だ。大のイチローファンで、車のプレートまで51である。10月9日生まれ。まさに塾(10・9)をやるため生まれてきた男だ。情熱のカタマリである。

右端が10月から僕の塾を手伝ってもらっているドラゴン先生。ズバリ名前は竜である。一関市内の中学校教師を経た後、仙台の塾で室長を歴任したベテラン教師である。

2列目の左端が、愛知県四畳半スクール塾長の永田先生だ。足の長さは僕の2倍はある。イケメンである。羨ましい。マイクをもたせたら人格が変わる。

その隣が上野塾の西国原先生。にしこくばると読む。職人である。上野先生の片腕だ。

その隣が神奈川学心塾のGO先生。とよ爺先生の側近である。存在が癒しそのもの。きっと受験生が安心できる存在の要だろうと思う。

白髪の哲学者風おじさんが、僕の友人の小林先生。水沢で個別指導学び舎を営んでいる。陸奥話記の現代語訳を出版するなど、フィールドワークは多岐にわたる。ジャズと落語を愛する風情人である。

その隣がとよ爺先生である。僕のブログの師匠である。神奈川県学心塾代表である。一日に4稿書き続けるスパーブローガーである。いつ寝ているのか不思議なくらい多忙な日々を過ごしている塾屋である。塾ブログ界で彼の名前を知らない人はいないだろう。

どうでもいいけれど、その隣が僕かねごんである。

東山を後にした僕らは、かつての曹洞宗東北総本山・市正法寺に向かった。

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2011年10月13日 (木)

独白

僕の塾は今年9月いっぱいで受験学年の募集をやめた。受験生の人数は例年の半分にも満たないが、定員にした。僕なりの理由があった。

僕の町一関市で、震災の影響を受けない家庭はない。どこもやりくりが大変なはずだ。そんな中、僕の塾を選んで入ってくれた生徒のためにも、魂を込めた塾道を激走したかった。

しかしそれでも僕の指導力不足で、今月、中3生が2名退会した。物理的には2名の空席ができてしまった分けだが、正直僕のダメージは10人ほどの塾生が居なくなってしまった感覚だ。

猛反省すると共に、ふんどしを締め直さなければと思っている。

震災以降、6月まで入って来た受験生が2名だけ。そしてこの10月に受験生が2名も辞めていくのも開校以来初めての経験だ。何でも震災や放射能の影響などとは言ってられない。

僕自身の指導のスタンスの甘さを、しっかり自覚しなければならない。特に今回は、塾生の保護者の方から紹介頂いた生徒さんの退会だけに、心痛極まりない。僕の失態である。

今度の土曜日、日曜日は中学校卓球大会・新人生の県大会がある。コーチである僕は随行を要請されたが、申し訳ないが辞退した。塾生の指導を優先したい。今後、地域の様々なボランティアの要請が僕の所にやって来る季節だが、今年の秋は塾業に専念したい。

今日本は間違いなく困難な時代に直面している。厳しい言い方かも知れないが、日本人の人間力の低下が招いた結果だと僕は思っている。

お金と経済を優先し、自由と享楽を履き違えた代償は、あまりにも大きかった気がする。教育を変えるんじゃなくて、教育は変わらなければならない。

暗記中心の学問から、論理思考を鍛える教育にスイッチしなければ、日本という国は、衰退してしまう。その象徴が今の大学だ。

日本人の2人に1人は大学に行く時代、底辺校の大学では、英語のアルファベットが書けない学生や、分数の簡単な計算ができない大学生が多くいると聞く。能力があっても、家庭の事情で大学に行けない若者は多い。一方お金を出せば入学させてくれる大学に入って遊び呆けている若者も多い。

学歴に於ける経済格差を見ていると、お金の力を盾に、原子力発電所を促進してきた電力会社と多くがダブってくる。

僕はハングリーでありたい。そうじゃないと教育は魂をキャッチできない。

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2011年10月12日 (水)

菅原道真夫人

塾屋サミット IN 一関 パート5

901年に九州の大宰府に左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)公の夫人・吉祥女(きっしょうめ、菅公夫人)は、同年奧州胆沢郡母体(奥州市前沢区母体)に3人の子供や従臣らとともに配流され、906年(道真公没後3年)悲嘆にくれながら42歳で他界した。

菅原道真は言うまでもなく学問の神様である。天神様として全国の神社に祭られている。学校の教科書では、894年に遣唐使を廃止した政治家として有名な平安人である。しかし権力争いの渦中に巻き込まれ、太宰府に幽閉された道真は失意のうちに人生を終えた。

その3年後に九州から1000キロ以上も離れたみちのくの地で、42歳の生涯を終えた女性がいた。菅原道真の妻吉祥女である。

今回のみちのくの旅で、ぜひ先生方に参拝して欲しかった祈りの場であった。

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僕は5年前、家内と吉祥女のお墓に詣で、菅原道真の一家の無念さに思いを馳せた。左遷された夫と別れ、みちのくにやって来た心境はいかほどだったろうか。

道真が学問の神様として崇拝されるようになった今、この道真の妻の菩提樹も強烈なエネルギーを放射しているに違いない。

その後僕がこのブログをしたためるようになったのは、このエネルギーの放射に背中を押されてのことだったのかも知れない。

僕は、この祈りの場にブログが縁で集った先生方の、学問道のさらなる栄達を願い、山里を辞した。

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陸前高田の一本松

塾屋サミットIN 一関パート4

二日目は気仙沼市を経由し被災地陸前高田に向かった。

津波が襲った町の風景は、ただただ戦慄を覚える悲惨な光景だった。崩壊した町を前にして愕然とする先生方の姿があった。

この光景を数回目にしてきた僕でさえ、ショックは大きい。まして初めて現実を目の当たりにする人間の衝撃はいかほどだろうか。

飴のように曲がった橋の欄干。鋭利な刃物で切り落とされたような鉄道のレール。多くの人達の人生を一瞬で飲み込んでしまった津波の恐ろしさに言葉はない。いくら文章にしても、確実に伝えることなど困難な状況であることは分かっているつもりだが、それでも書かずにはいられない。

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奇跡的に残った一本松を眺めながら、僕は昨年の夏の賑やかだった陸前高田の町を思い出していた。どのようなアングルから眺めても、昨年の風景と一致する場所はない。

11時頃に陸前高田を出発する予定だったが、美しすぎる海とあまりにも対照的な残酷な風景を前に、塾屋軍団は時間をうばわれた感覚だった。高田を後にしたのは、12時を過ぎていた。

重い気持ちのまま、僕らは一関東山に向かった。

続く・・・・

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2011年10月11日 (火)

塾屋サミット IN 一関 パート3

今回の塾屋サミットではまたまた77の奇跡が起こった。

今回は岐阜・神奈川の先生方はレンタカー2台をチャーターし、一関市・気仙沼市・陸前高田市・奥州市・平泉町を駆け巡ったわけだが、そのレンターカー2台ともが、77で始まるプレートナンバーだった。あり得ない!

僕のブログを読まれてきて方はご存だと思うが、僕が神社仏閣に参る時は、必ず前後に77の車が現れる。今回は全行程、僕の軽トラックの後を77の車が走ることとなった。

「かねごん先生、前もって77の車をチャーターできるように暗躍したんじゃないですか(笑い)」などと先生方に言われたが、とよ爺先生が手配したレンタカーであり、レンタカー会社さえ知るはずもないかねごんであった。今回の旅が、神様に守られている旅であることを確信した。

初日の夜は樽やさんの座敷をお借りし、夜の宴は深まっていた。飲むほどに話すほどに塾屋の本音と教育論が炸裂した。その情熱は只者ではない。

30代の向上館塾長の熊谷先生とドラゴン先生は一関一高時代の後輩先輩である。50過ぎの塾オヤジ達に気配りの嵐だった。本当に楽しい宴を演出してくれて感謝である。

そして・・・カラオケのトップバッターで歌ってくれた愛知の永田先生のこの歌良かったな。

この歌を聞いた被災地で働く自衛官が、「もう2週間頑張る限界が伸びた」と言っていた言葉が印象的だった。

翌日僕らはその被災地に向かった。

続く・・・

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2011年10月10日 (月)

塾屋サミット IN 一関 パート2

風聞園から当塾大験セミナーの教室に塾軍団が到着したのは夕方6時近くだった。皆さんの塾のようにサプライズの工夫も個性豊かな看板も何もない。建坪9坪の小さな地味な塾である。見てもらうべきものは何も無い。

ただ僕は、4畳半スクール塾長の永田先生にギブソンのアコギを用意していた。

永田先生とともに4畳半スクールで指導をしていた森裕也先生が、昨年交通事故で帰らぬ人となった。相手の車の信号無視だった。31歳の若さだった。森先生は音楽を愛する先生で、多くの楽曲を作っていた。

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僕は永田先生に森先生が書いた曲をリクエストした。塾屋の暮らしを歌にした哀愁のある曲である。教室に魂の歌が流れた。僕の塾にエネルギーが満ちあふれた。それは愛だった。

そしてその愛は、夜の親睦会での学び舎・小林先生の乾杯の挨拶で加速した。

「森先生が生きていれば、必ずしや今回の陸奥遠征に参加されていたと思います。森先生に黙祷を捧げませんか」小林先生の言葉に、永田先生の目頭が潤んだのを僕は見逃さなかった。その後の親睦会が、一関の夜のなかで盛り上がって行ったことは言うまでもない。

続く・・・

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塾屋サミット IN 一関 パート1

二日間塾に泊まり込み自宅に戻らなかった。徹夜で仕事をしたわけではない。神奈川学心塾のとよ爺先生、GO先生、岐阜の上野塾の上野先生、西国原先生、志道館の美川先生、熱海向上館の熊谷先生、四畳半スクールの永田先生、そして学び舎の小林先生、僕かねごんと、今月から僕の仕事を手伝ってくれているドラゴン先生の総勢10名の塾論バトルを3日間行った。そして僕と小林先生は、そのバトルの日々が終わると僕の教室に帰還し、ぶっ倒れるように寝た。

三日間、陸前高田市の訪問や、陸奥の祈りの場所の探訪をして頂いた。どうも僕の計画したスケジュールは過密だった感があったが、なにぶん素人の添乗員ゆえおゆりし願えれば幸いである。

初日は風聞園での顔合わせから始まった。知る人ぞしる一関の静謐な空間である。僕の先輩塾屋、斎藤氏の人生を費やした芸塾作品である。

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神奈川、岐阜の先生方をまずは驚かして、感動させる僕の狙いは的中したようだ。夕暮れ時に森閑として佇むこの風聞園は、まさに脳みその何かを猛烈に刺激してくれた。僕らのために遅くまでお店を開けて頂いた斉藤さんの奥様、感謝申し上げます。ありがとうございました。

風聞園を後にした塾屋軍団は、僕の小さな小さな教室に向かった。

続く・・・

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2011年10月 8日 (土)

悟りって何ですか

秋の花粉症が始まった。春のスギ花粉ほどの大変さではないが、結構シンドイ。

今年の春は通常2ヶ月間で収まる花粉症が、3ヶ月半も続いた。多くの方がそんな感じだった。放射能の影響が花粉症を長引かせたような気がする。

目にみえないものとの戦いに明け暮れた半年間だった。危険度に対する温度差が激しいのも事実だが、命に関わることだけに、情報に敏感であることは大切なことだと思っている。

放射線セシウムの値が、野菜類に於いてはだいぶ低くなっており、一安心だが、一方果物や栗などは土地の放射線量に比例して高いようだ。経験値の少ない出来事に対して、どう対処するかは情報の取捨選択と、冷静な判断が必要だ。

人類の舵取りは、僕ら自身の判断と決断にかかっている。誰かがやるだろう、ではいけない。最近僕は、『人間の尊厳』という言葉をよく使う。震災後、生きるスタンスが変わったせいかも知れないが、生きるという日常性が、とても重くそして神聖なことに感じられる。

昨日小6の女の子から、「悟りってなんですか」と尋ねられた。国語の文章読解に出てきた言葉だが、タイミング的に僕は詰まってしまった。状況を理解することだよと答えればいいものを、ブッタとかキリストとかいろんな悟り人が頭を駆け、「人生を知ることだよ」などと答えている僕を、周りの中学生が笑っていた。

鼻をかみながら、悟りとは何だろうと考えていた僕は、鼻水が出そうなら、服の袖などで拭かないで、ちゃんと鼻紙でかむことが悟りじゃないかと、綺麗な夕日を教室から眺めながら考えていたかねごんであった。

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*今日から月曜日まで家を留守にします。頂いたコメントやメールに対する返答は、月曜日以降になるかと思います。ご了承ください。尚、塾への電話は、あきこ先生のケータイに転送になります。よろしくお願い致します。

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2011年10月 7日 (金)

明日から塾屋サミットin 岩手

今朝息子を軽トラックで高校まで送って行ったら、朝日に輝く虹が西の空に出た。綺麗なアーチだった。こんな完璧な虹を見たのは久しぶりだ。20年ぶりぐらいだろうか。感動的な朝だった。

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これは何かいいことが起きる前触れだろうか。きっとそうに違いない。明日から三日間、神奈川のとよ爺先生、同じく熱海の熊谷先生、岐阜の上野先生、美川先生、永田先生、などなど総勢10名ほどのオヤジ塾屋陸奥サミットを一関で行う。

岩手の秋を堪能してもらうつもりだ。そして熱い夜が展開しそうだ。教育論や人生論、そして塾屋ブログ論が熱く語られるだろう。

僕が4年前にブログを書き始めなければ、決して出会えない奇跡のサミットである。今回の出逢いは、ブログを書き続けてきたことへの神様からのご褒美だと思っている。

大震災の年だからこそ、書き続けなければならないことが僕にはある。先生方から多くのことを今回は学ばせて頂く。

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2011年10月 6日 (木)

被曝とは関係ない?

東京電力は6日、福島第一原発で働いていた50代の男性作業員が、同日朝に死亡したと発表した。事故の復旧にあたる作業員の死亡者は3人目。東電は、被曝(ひばく)や過重労働が直接の死因ではないと見ている。遺族の意向なども踏まえて死因は公表しなかった。

 東電によると、男性は5日午前7時10分ごろ、作業開始前に体調不良を訴え、福島県内の病院に搬送された。8月8日から計46日間、原発内でタンクの設置作業に従事していた。

 復旧作業にあたる作業員のうち、5月に心筋梗塞(こうそく)で男性1人が亡くなり、8月にも急性白血病で男性1人が亡くなっている。東電はいずれも作業被曝との関連はないとしている。

Google ニュース

今後亡くなられる方を、全て被曝とは関係ないと言い続けるつもりだろうか。東北に於いて、今年は津波で亡くなった人を除いても、死亡率が高まっている。被災のストレスや、精神的な不安が疾病や突然死の原因になっているのだろうが、あの高濃度の福島原発で働く人の死亡原因が、被曝と関係ないはないだろうと思う。

どこまで白を切るつもりなのか、どこまで責任逃れをするつもりなのか、開いた口がふさがらない。

一関市内の公立高校では、ようやく放射線の高濃度汚染を認め、生徒たちに公表し、危険を知らせ始めた。高校のほとんどの校庭で0.4マイクロシーベルを超え、雨の通り道は1マイクロシーベルトを超えている。幼児とは違って被曝の危険性はないとはいえ、十分注意をしなければならない値だ。雨のたびに放射能濃度が上がっている。福島原発はいったいどうなっているのだろう。不気味である。

報道管制がひかれたテレビやマスコミは、雨の日の危険をいっさい報道しない。雨の中をずぶ濡れになって歩いている子どもたちを市内で見かける。心ある大人は、どうか注意を促して頂きたい。

塾生に「雨に当らないようにしろよ」と言ったところ、「学校の先生はだいじょうぶだよって言ってたよ」という驚くべき回答をもらった。

だいじょうぶと言うのならその根拠を伺いたい。

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2011年10月 5日 (水)

ジョージ・ウインストンの風

岩手も一気に寒くなってきた。特に朝の冷え込みは厳しくなった。県内では氷点下を記録したところもある。昨日はロシアからの渡り鳥もやってきた。そして岩手の霊峰岩手山は昨日初冠雪を記録した。

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一関の街を焼き芋屋さんが走り始めた。いよいよ秋も深まり、冬が近づいてきた。この季節が僕は一番好きだ。凛とした秋晴れの清々しさは、魂までもが正座をしそうな重厚さがある。

山から吹き降ろしてくる冷たい風に、心地よさを感じる。美味しいコーヒーをのみながら、秋のメロディーに耳を傾けるのもいいだろう。

ジョージ・ウインストンのピアノは、通り過ぎてきた青春の風を感じさせてくれる。生きとし生けるものの輝きの中、繊細な命の糸がダイナミックに紡がれて行く。秋はいいな・・・。

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2011年10月 4日 (火)

僕の塾の生徒の方が優秀だな

 九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)の4号機(加圧水型118万キロワット、97年運転開始)は4日午後1時40分、2次系冷却水を海水で冷やす復水器の異常により原子炉が自動停止した。外部への放射性物質や放射線の漏れはなく、けが人もなかった。玄海4号機の停止により、全国の原子炉54基のうち、稼働中は計10基となり、九電管内では玄海1号機のみとなった。4号機の運転再開のめどは立っていない。 每日新聞

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『隣にあることはうちでも起こることだ。哀れんではいけないし、無視してもいけない』僕の父が生前僕によく言った言葉だ。

借金をするな。資格に頼るな。この言葉も父の遺言のように僕の心にズシッと残っている。福島で起こっていることを、哀れんではいけないし、絶対無視してもいけない。

僕ら人間はフラットでいることは大切かも知れないけれど、冷めてはいけない。原子力がなぜ危ないのか、何度も繰り返して、何度も説明しなければ理解してくれない政治家や、学者や企業人がいっぱいいる。僕の塾の生徒の方が優秀だな。

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2011年10月 3日 (月)

ファーストキスは何歳

高校時代彼女や彼氏と手をつないで街を歩いたことがあるだろうか。

僕らの高校時代は、岩手の田舎町で手をつなぐ高校生はいなかった。もしそんなことをしたら、きっと同級生から後ろや前から石を投げつけられただろう思う(‥笑い)。

僕らの頃は、人前で手をつなぐという行為は、もうすでに男と女の関係になっていますよという公開発表をしているようなもので、さすがのヤンキーフレンドでも、彼女と手をつないで登校などという行動は取らなかったような記憶が僕にはある。

バブルの頃から、東北の高校生も登下校に彼氏彼女と手をつないで歩く姿を頻繁に見かけるようになったが、ここ数年僕の住んでいる一関の町では、イチャつきながら歩く高校生の姿はめっきり少なくなった。

高校の部活の先生によっては、街中を手をつないで歩くような行為を禁じている高校もあるようだが、不況の影響というのも高校生の恋愛観に微妙な変化をもたらしているのかも知れない。

昨年県立高校に通う女子高生から、「かねごん先生のファーストキスは何歳だったんですか」という質問をいただいた。「お前のファーストキスの年を教えてくれるなら答えてやる」という僕の返答に、彼女は沈黙したのだが、どうでもいいことなので教えてあげた。

「大学生になるまで、キスどころか女の子の手を握ったこともないよ」と僕が言うと。

「キモ!」と彼女がのたもうた。その彼女、残念ながら塾をこの夏やめていったが、いい恋ができることを祈りたい

僕が中学生の時だったけれど、恋愛ドラマを見ていた僕の母の母が(つまり祖母だけれど)、「私もあんなふうに旦那と手をつなぎたかったわ」とポツリと言った。

祖父は、僕の母がお腹に宿ったことを知らずに、戦場に招集され、南東の海に散った。短い新婚生活だった祖母のせつなさが、中学生である僕の心にも伝わって来る言葉だった。

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2011年10月 2日 (日)

文化祭

今日は中学校の中間テストがもうすぐなので、日曜日の卓球指導がお休みだった。時間が出来たので、家内と一緒に一関修紅高校の文化祭におじゃましてきた。

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それにしても、自分の息子の高校の文化祭には行かず、僕の仕事場の高校に見学に行く女房もだいぶ変わっている・・・

きっと僕が高校生からどんな愛着をもって接してもらっているのかを、把握したかったのだろうと思う(◎´∀`)ノ。いろんな高校を見学に行っては、辛口の意見を言う当塾の社長である女房が、震災の復興をテーマにしたクラス発表に、かなりの好感度を示し、「良い感じじゃないの」とお褒めの言葉を頂いた。

シュタイナー教育を実践する彼女にとって、大人と接する子どもたちの温かい空気感が一番大切なことであるようだが、生徒たちの雰囲気から、私学の先生方の、日頃の真摯な教育を実感出来た一日だったようだ。

女子生徒達が心を込めて出してくれた抹茶を頂き帰ってきた我が女房と、その付き人のかねごんであった。

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反原発、放射能警告ブログなのに・・・

3.11の震災の後、10日間ほど塾を休業した。至る所で道路が寸断され、電気も水も止まった状態、そしてガソリンを手に入れることが出来なかった。

震災以後6月までは、新入会者もほとんどおらず、創立21年目にしてワースト記録を樹立してしまった僕の塾だった。沿岸部の津波の被害を見るにつけ、本当に大変なことになったものだと、ただただ生きていることに感謝の每日だった。

7月から9月にかけて、多くの生徒に入会して頂き、なんとか例年の生徒数に達した。僕は塾での指導の他にこのブログを書いているだけで、今年は広告等の媒体はいっさい使わなかった。6月以降塾に来て頂いた9割以上の方々が、僕のブログを読んで頂いていた。感謝である。

3月の半ば過ぎから、舌のピリピリ感や、今までに経験したことのない身体の違和感を覚え、福島原発の放射能が200キロ近く離れた岩手県南部の一関にも、間違いなくやってきていることを書き続けてきた。

そして5月のメルトダウンの発覚。一関市の放牧地のセシウム汚染の公表をきっかけに、僕のブログへのアクセスが加速した。全く放射能の情報を公表しない一関市の対応に、不安を抱いた多くの市民の方々が、『一関市放射能』などの検索ワードで、僕のブログに入って来た。その方々の中に、きっと今回入塾して頂いたお子さんの保護者の方が多くおられたのだと思う。

ここ半年、教育論や塾の話題らしきものはほとんど書いてこなかった。子どもたちを被曝させてはいけない、という一点について書き続けてきた僕のブログだった気がする。隠蔽してきた東電や政府の態度に対する僕の怒りの矛先は、僕の過激なブログの論調となって、記事が多くの所へ拡散していった。それが放射能値開示の署名運動になり、週刊誌等でも一関の放射能問題が取り上げられるようになった。ここ半年で10万人以上のアクセスを頂いた結果だと思っている。

ガイガーカウンターを6月の初めに買った僕は、3月に経験した違和感を数値で確かめることが出来た。何度も繰り返してきたが、雨の日の放射能値は高い。一関市は地面の線量が平均して0.18マイクロシーベルトから0.23マイクロシーベルトだが、雨の日はいっきに0.4~0.6ほどに値が跳ね上がる。

そしてその雨の線量は、落ち葉や枯れ草に溜まりやすい。従ってこれからの季節、子どもたちを、公園や里山の枯葉や枯れ草が堆積しているような所で遊ばせてはいけない。雨水の通り道になっているような落ち葉の溜まり場では、市内では1.0マイクロシーベルトを超えている場所も多い。

塾なのに、反原発、放射能警告ばかりを書いてきたこんな僕の塾を、選んで頂いた保護者の皆様に心より感謝したい。

ここ数ヶ月、僕の所に様々な情報を提供してくださった市民の皆様に感謝申し上げます。また署名運動のさいに、多忙な中ご尽力頂いた塾の保護者の皆様、本当にありがとうございました。

僕は人は情熱と愛で動いてくれるものだと思っています。チェルノブイリ事故の悲劇を全く教訓にできないような日本の政府に、僕は情熱も愛も感じません。文科省にしても同様です。今回の震災で多くのことを多くの方々が学んだと思います。福島の苦しみや、沿岸の被災者方の苦しみは、決して対岸の火事ではありません。原子力発電を廃止しましょう。情熱と愛で、皆さん止めませんか、悪魔の火を。

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2011年10月 1日 (土)

ウルトラマン

何故にウルトラマンの歌かというと、ず~と考えていたことだけれども、僕がジャズ好きなのは、絶対子どもの頃に毎週聞いていたこの歌が原因だと思う。

この歌聞いて頂ければ分かるが、完全なジャズである。ドラムのリズム・・・・でしょう。

それにしてもウルトラマンは、僕かねごんにとっては、まさにヒーローだった。怪獣ではバルタン星人が好きだったけど、ウルトラマンになりたかったな~。

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かねごんの戦いはまだまだ続くのであった・・・・・。

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祈りの風

秋になると一関の山々はいっきに鮮やかな色彩を放射し、 静謐な時が訪れる。来週の土曜日、ブログで縁を頂いた神奈川のとよ爺先生や岐阜の上野先生、美川先生をはじめとして多くの塾屋軍団が僕の町を訪れる。陸奥の歴史跡を探訪して頂き、東北のエネルギーをそして古人(いにしえびと)の祈りの風を感じて頂ければ幸いである。

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ここ2,3日でだいぶ稲刈りも進んだ。一関市のシンボルである栗駒山も、10月を迎え少しずつ紅葉が里に降りてきた。例年ならばキノコ狩りで賑わう山里であるが、放射能の影響で、全く山里に入る人影もない。

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山葡萄やあけびや、栗拾いに子どもたちの賑やかな歓声がわきあがる秋の山里の風景が、必ず近いうちに復活することを僕は信じている。

先生方、三日間どうぞみちのくを満喫してください。何もありませんが秋の静謐な風景だけは自慢です。

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命を無駄にするべきじゃない

即人体に影響が出るものではない。

このフレーズを今年は何度聞いただろうか。ヨウ素が検出された時も、セシウムが検出された時も、そして今日福島第一原発から40キロ離れた場所からプルトニウムが検出されても、同じフレーズが繰り返された。

即人体に影響がなければ、5年後10年後に癌などの甚大な疾病になるのは構わないのだろうか。全くいい加減な対応だ。

こうなったら個人個人が自分を家族を守るしかない。残念がら日本という国家は、地方自治体も含めて、国民の、住民の健康など考えていないようだ。

何度も繰り返してきたが、生活空間の線量が1マイクロシーベルトを超える場所での生活は回避すべきである。疑わしきものは口にするべきではない。

僕らは命を無駄にすべきじゃない。

津波は間違いなく天災であるが、放射能は人災である。人間の起こした過ちは、人間が修復しないかぎり、復元はしない。それが現実だ。

ほって置けば無くなるものではない。風景や景観はほって置けば確かに自然が増えていくように見えるが、猛毒は間違いなく牙を向き続けていく。

昨年の秋、東北の風景は穏やかだった。

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