一冊の本との出会い
学校の先生や塾の先生が、昔はヤンキーだったとか、勉強が全く出来なかったなどと言いつつ、結構いい学校を出ていたり、ちゃっかり成績が良かったりすることが多々あるわけだけれども、僕の勉強に関して言えば、中学校時代はほんとうに闇だった(笑い)。
中学校での記憶は、卓球をやっていたことと、川土手を走らされた記憶ぐらいしかない。家では教科書など広げることもなく、深夜ラジオを聞き、ボケ~と過ごす每日だった。
部活は別にして、気持ちが悪いくらい勉強には身が入らなかった。
公立高校は一般入試どころか2次募集もだめで、私立高校の二次募集でなんとか拾ってもらった。身から出た錆。馬鹿丸出のていたらくである。
高校に入っても懲りない僕は、バイクと音楽とバイトの日々で、勉強の二文字ははるか空の彼方であった。
当時高校の近くには、五坪ほどの小さな古本屋があった。50円の特売コーナーみたいなボックスがあって、ヨレヨレの文庫本やエロ本が置かれていた。同じように当時ヨレヨレ感が漂っていた僕は、そんなヨレヨレの本に惹かれたのだろうと思うのだが、稲田耕三の『高校放浪記』という本を手にした。
高1が終わろうとしていた初春の頃だった。退学届を2度も高校に持っていった僕は、高校を続けることにさえ萎えていた時期だった。
徹夜で一気に読み通した。春まだ浅い夜が開けた頃、僕の人格の中の何かがどよめいていた。
『こんなだらけた生活じゃいけない』 ようやく長かった冬が終焉を告げるかのように、僕は社会のなかの自分という存在に気づいた感じだった。僕の長かった冬眠が終わった。
あの本は中学時代に読んでも、社会人になって読んでも、僕を覚醒させてくれることはなかっただろうと思う。16歳の僕が読んだからこそ、僕の生涯を変える一冊となった気がする。
若い時にしかスイッチが入らない本、年を取ってからしかスイッチの入らない本というものがある。だから読書というものは侮れない。
『高校放浪記』を読んだ後の僕は、大学受験を迎える頃までに、一冊の英語辞典と社会科の用語辞書をボロボロにした。辞書のほつれた糸が、その後の人生の様々な出会いを紡いでくれた気がする。
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