時間さえも風のようだ
心が疲れたら好きなことをやることだ。夢中になれることがあればそれをやってみる。
これからの時代を生きて行くために必要なことは、忍耐や根性ではなく、自分の心(魂)が希求するものを素直に認めることではないだろうか。
社会や時代が作った価値観に、無理やり自分を追い込むことはない。利己的な社会に同調し、大切な命を無駄にしてはいけない。
季節ごとに吹き抜ける風のように、僕らの風も変わっていく。流転する時間は常に未来に進んで行くが、その時間感覚はそれぞれが違う。時間さえも風のようだ。
津波や地震で跡形もなくなった町にたたずむと、僕らが執着してきたお金や財産や仕事がいかに脆いもので、いかに頼りないものかを実感する。
何を信じるのか。何を信じるべきなのか。想いが錯綜する時、未来が見えない時、最後に一番頼りになるのが自分だ。だから自分を信じなければならない。
自分を信じるということは、常に正しい判断をする自分を希求することではなく、自分の下した判断の結果に、後悔しない自分でいられるかということだろうと思う。
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昨晩県庁の教育委員会の担当部署に一ノ関の学校の放射線量についてTELしました。
「何故空間線量1μsv/h以上しか除染対策を取らないのか」 あえて質問しました。
「その根拠の計算式が文部科学省から8月末に示された。」との回答、 市役所の担当者も同じ事を言います。
どんな馬鹿げた計算式なのか教えて下さいというと
http://radioactivity.mext.go.jp/ja/8849/8850/8864/1000_082614_2.pdf
私の老いた頭では即座に矛盾点を探せません。こういう時は塾教師のかねごん先生のお知恵を借りたいのですが。
(かねごん)
父ちゃんの会様コメントをありがとうございます。
教育委員会も自治体も臭いもには蓋の情況なのでしょう。
低放射能と言われているモノが、どれほど危険であるのかを、過去のデーターで示すのが一番いいのでしょうが、それさえも無視されるのでしょうね。残念です。
投稿: 父ちゃんの会 | 2011年9月13日 (火) 08時27分
何を信じるのか。何を信じるべきなのか。想いが錯綜する時、未来が見えない時、最後に一番頼りになるのが自分だ。だから自分を信じなければならない。
自分を信じるということは、常に正しい判断をする自分を希求することではなく、自分の下した判断の結果に、後悔しない自分でいられるかということだろうと思う。
↑かねごん先生のこの文面、
今日の塾会で紹介させていただきました。
自分の下した判断の結果に
後悔しない自分でいられる。
私も全く同感です。
自分の信じた道をぶれない心で突き進む。
いつまでもこれは大切にしたいことです。
気持ちの良い朝のスタートができました。
ありがとうございます。
(かねごん)
上野先生、塾会でご紹介頂き恐縮です。
様々な問題を抱え込んでも仕方がないかなと思うこの頃です。
あれこれ悩んでも明日はやって来ますよね。自分が決めたことには100%自分が責任を取ればいいことですよね。
後悔している暇があったなら次のステップをと思うことを心掛けようと思います。
10月の塾会IN岩手、盛り上がりましょう!
投稿: 上野義行 | 2011年9月13日 (火) 16時12分