大地への愛
最近軽トラックの中でネティブアメリカンの音楽を聞いている。アメリカの大地に命を吹き込んだ先住民のエネルーギーと、そして白人にその住処を奪われた悲しみが錯綜する音楽だ。人間の叡智、大地への愛を僕は感ぜずにはいられない。
僕ら東北人も、アメリカが開発しアメリカが導入した核のためにこの大地を去らなければならないのだろうか。放射能の問題に追い打ちをかけるように、被災地のアスベストの問題が深刻になっている。
僕は沿岸のボランティアにやってくる方々が、防塵マスクをつけていない姿を何人か見かけた。本当に心配である。ボランティに出かける塾生には、何度も注意を促したが、学校側は実態を深刻に受け止めてはいなかったようだ。
東北を脱出し西日本に移住する方が増えてきている。政府も自治体も動かないことに対し、自己防衛が始まっている。お米もだめ、酪農もだめ、そして経済はとっくに底をついている。来年度は地方の税収も厳しいだろう。
家内から「もう岩手を出ない」と言われる。僕は移住するお金もないし、遠くへ行ったにしても食べていくあてもない。塾教師としてこの故郷に骨を埋めるつもりだ。
この土地に生まれた理由、この時代に生まれた理由はきっと僕の魂にあると僕は確信している。悲壮感はないと言えば嘘になるが、生きるという意味を深く考えさせられる每日である。
頑張るとか、努力するとか、耐えるとか、そんなことを超越するパワーを僕は被災地の多くの方々から頂いた。負けられない。
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