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2011年8月14日 (日)

メジャーなご先祖

今日はお墓参りに行ってきた。今回の地震で法名を刻んだ墓石が倒れた。家族総出で先月修復作業をやり、どうにか無事にお盆を迎えることが出来た。ほっとしている。

その墓石の筆頭に12代当主・金田庄太左エ門の名が刻まれているが、僕のご先祖の中では一番メジャーな人物である。ちなみに僕が17代目、長男が家を継ぎそうなので18代目ということになる。江戸時代からよくぞ途絶えることなく続いてきたものだと、墓石に刻まれたご先祖様の名前とその歩んだ人生に感謝の念が絶えないかねごんである。

12代当主・金田庄太左エ門は何をやった人かというと、江戸時代の文化11年から3年をかけて花泉金沢の丘陵地帯に、3000本の松を植えた百姓である。決して園芸が趣味だったわけではない(笑い)。金沢郷刈生沢(かりゅうざわ)村は、江戸時代標高が高いため霜の害が多く、米作りでは幾度か多くのダメージを受けた地域だった。

田村藩藩主・田村宗顕(みねあき)に、霜よけのための松の植林を陳情した金田庄太左エ門だったが、その要望が叶えられ、3000本の松が5キロにわたり植えられた。

昭和になり伐採された松は、旧金沢小学校、刈生沢小学校の建築資材利用されたと、当時の記録に残されている。

現在植林された地域は、パイロット新田開発事業により、山がなくなり青々とした田んぼが広がっている。植立(うえだて)という地名だけが当初の名残を残している。

その植立から僕が幼少の頃、父が3メートルほどの松を掘り起こして持ってきて庭先に植えた。その松も半世紀が過ぎた現在、結構な巨木となり、シュタイナー教室である『風と虹』に通ってくる幼児たちが遊ぶ砂場に、涼し気な木陰を作っている。

この自宅の松も、ルーツをたどっていけば、庄太左エ門が植林した松に行き着くかも知れない。

松と言えば、陸前高田の松が、京都の大文字焼きで鎮魂の祈りを込めて焼かれる予定だったが、放射能が検出された理由でダメになってしまった。残念である。

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