親父の背中
昨日の中尊寺でのとよ爺先生と息子さんの会話を聞いていて、僕は倅と言うものは男親の背中を見て育つものだと想いを新たにした。
僕の息子たちはどうだか知らないが、僕は親父の働く背中が生きる手本だった。中卒で働き始めた父は、農業と出稼ぎと大工仕事で一家を支えていた。
不運にも30代なかばで怪我と病魔に襲われ、ずっと不自由な暮らしを余儀なくされた父だったが、走り続けた56年の人生は、立派な人生だったと思っている。
学歴はなかったが、人生の本質を模索する目は持っていた。僕が高校生の時は、日雇いの仕事をしていた父だったが、毎朝4時には起き、仕事に出かける前に畑や田んぼの仕事に精出す父だった。
高校時代受験勉強の真似事をしていた僕は、徹夜で4時頃眠りに付くことがあったが、決して体調のいいわけでない父が、4時に起き、バイクに草刈機械をのっけて田んぼに出ていく姿は、頭が下がる思いだった。
僕の受験勉強など『クソ食らえ』と思うほど、自分のやっていることがお遊びに思えたものだ。
機械的で巧妙に仕組まれた現代社会で、惰眠をむさぼることはいともたやすい。本当の生きる力は、汗と直感で鍛えられていくと僕は思っている。
今回出会った今村克彦氏もそうだ、とよ爺先生もそうだ、ぎりぎりのところまで自分を追い込み夢を現実に変えていく。
今村先生は幾度か救急車で病院に運ばれている。とよ爺先生も、心臓に人工の器具を入れた生活をしておられる。両氏とも無理をして欲しくないと願うかねごんである。
にっこりと微笑む表情にまだ童顔の面影が残るとよ爺ジュニアであるが、僕は眼の奥に鋭い洞察力をしっかりと垣間見た。
さあ、今日からまた仕事だ。塾生のために、そして家族のために、しょうもない背中であるが、汗をかきながら頑張ってくるか。
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