若き教師たちへ
中2の頃だったろうか、自分が大人になっていくことに対してものすごい喪失感みたいなものを感じたことを覚えている。
子どもであることの幸せみたいなものを、無理やり剥ぎ取られるような、そんな感覚だった。
そんな感覚にさいなまれていた頃、同級生が骨肉腫で死んだ。14年の生涯だった。16歳の夏が始まろうとしていた頃、今度は高校の同級生が天国へ行った。バイク事故だった。
彼らは天国で大人になっていくのだろうか。それとも少年のままでずっといるのだろうか。そんなことを考えながら、僕はその他大勢の高校生がそうであるように、受験勉強というしがらみの世界に埋没していった。
今50を過ぎてふと思い出すのは、思春期の頃の孤独感だ。ある意味で無防備過ぎる繊細な感性は、若さゆえに誤魔化すすべを知らず、自分の感情を鈍化するために、どうでもいいような暗記の世界に身を投じた青春時代だったような気がする。
受験勉強はもちろんやらないよりやった方がいいだろう。しかし受験科目にしても、出題範囲にしても、国家という実態のないイディオロギーが勝手に創作した勉強システムであり、その幻想とでも言えるレール上にだけ、価値観を見出そうとすることはとても危険なことだと思う。
今回の原子力事故は、政府とそれを取り巻く自称知識人達の無能さを証明するにはあまりにも多くの犠牲を日本人に課してしまったわけだけれど、政治家や大企業が癒着して作り上げてきた民主主義という名の仮面社会が、実は弱者や貧困を生み出す最大の原因であることに気づいた日本人は多いだろう。
僕が大人になって行く途中で感じた少年の頃の喪失感は、国家イデオロギーが、一部の特権階級が潤うために画策し続けてきた欺瞞的社会に対する本能的不安であり、諦観ではなかったかと思っている。
若者たちが声をなくし、飼い慣らされた野獣のように、柵で囲まれた放牧地でじっとしていることは、決していいことなどではない。
僕はこの記事を高校生や大学生に向けて書いているのではない。若き教師たちに向かって書いている。
こんなことを言ったら左遷されるのではないか。こんなことをやったら首になるのではないだろうか。校長や教育委員会の顔色を伺いながら、自分の正義や信条を貫くことが出来ない教育など、教育なんかじゃない。
安定という二文字に胡坐をかき、子どもの命や未来を守れない教師など先生と呼ばれる資格などないんじゃないだろうか。
国語を教えています。数学を教えています。英語を教えています。そんなことで自分が立派な教師だと思うなら、それはそれでいいだろう。教師になるために学んできたことを、しっかり振り返ってみるといい。その知識で君たちは何が出来る。子どもたちに教科を教えること以外に何が出来る。
せいぜい職を失った大学の友人を見て、憐れむことと、自分の給料明細書を眺めて安堵している、精神安定剤としての職業観しか持っていないんじゃないのか。そうじゃなかったら、こんな大変な状況で、いつもと変わらない授業を出来るはずがない。
こんな政府や文科省の元で、おのれの魂の声を上げることもなく、生涯を終えられる君達に僕は脱帽するよ。一生懸命勉強して大学に入って、狭き門をくぐり抜けて教員になった君たちだからこそ、本当は今の教育現場の不条理さが見えているはずだ。
それを見て見ぬふりをするのは、自分の生活のためかい。人はさ、時に無謀でも、自分に嘘をつかないで自分の信念を貫くことが必要じゃないだろうか。
この地球に生まれた僕ら人間は、この地球でしか進化を遂げられないんだよ。いま頑張らないでいつ頑張るんだよ。そうじゃないかい、魂の同胞達よ!
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どうしてもコメントしたくなり、書き込んでしまいました。
昨日のニュースで福島の子どもたちが政府のお役人さんたちに鋭い質問をぶつけていたのを見ましたが、ああいうまっすぐな質問を投げかけることが出来る感性を、大人になると多くの人が忘れてしまうのかもしれないですね。
社会に対して異議申し立てをしなくなった若い人たちを見ていると、これでいいのだろうかと思ってしまいます。団塊の世代と比べて少子化で圧倒的に数も少なくなっている彼らが黙ったままでは、「あがりを決め込んだ」老人たちのいいように世の中は動かされていきます。
いずれ自分たちが問題を引き受けなければならなくなるという、当事者であることの意識を強く持ってほしいと思います。特に二十代から三十代の人たちには。
(かねごん)
小林先生こんばんは。
先生が書いている記事には脱帽です。僕はあの緻密さで書き続ける事は不可能です。
感情的で、短気で暴走し続ける、一本指打ちのブローガーから拝見していると、記事を書くのが恥ずかしいです《冷や汗》。
書きたいことが山ほどあるのですが、どうも指が進みません。疲れているんだろうと思います。
でも何か吠えていないといたたまれません。
小林先生が紹介するサイトから、だいぶ記事をパクらせて頂いています。事後承諾ですが・・・。
投稿: 学び舎主人 | 2011年8月21日 (日) 11時44分
初コメントさせていただきます。
昨日我が家に市谷小交流で大変お世話になった方、3名が立ち寄られました。元P会長T氏、と交流会に長く関わられたお二人の有名な先生です。お一人の先生が都からの支援教師として亘理へ赴任されています。お二人は志願して来られた後輩の先生を激励に訪れたようです。 この方々市谷の御父兄からも当時、絶大な信頼を得ていたのを知っています。 そして三人の絆の深さに何か感動いたしました。
(かねごん)
コメントを頂き恐縮です。
被災地の先生方よりも、遠方の先生方の勇気と行動力に本当に敬服します。
爪の垢でも煎じて飲ませてあげたい気分です。
本当に感動ですね。お知らせくださいましてありがとうございます。
投稿: 父ちゃんの会 | 2011年8月21日 (日) 14時53分