非常な違和感を感じる
「お金があればとっくに安全なところに避難しているよ」
福島の方々から聞こえてくる声である。内部被曝の恐怖と闘いながら、高濃度の汚染地区で暮らす人達の悲痛の叫びである。家の中でも2マイクロシーベルトを超える生活、国の救援の手は差し伸べられていない。
東京は安全ですとい言いながら、家族や子どもたちを外国に避難させた政治家も多い。僕の塾の子供たちやご父兄も放射能値が心配で、我が家のガイガーカウンターは、持ち回りで塾生宅に行っている。
3月のメルトダウン時の被曝量がいったいどれだけだったのか、広島の50倍の放射能放出という凄さがどれだけのものだったのか、目にみえない恐怖がまだまだ東北では続いている。
河川敷公園で遊ぶ子供たちの姿はさすがにない。情報開示で、高濃度の公園で子どもを遊ばせる親御さんはいないが、学校をはじめとする公共施設の除染が進んでいないのも事実である。きっともうしばらくすると、消えるとでも思っているのだろうか。「だじょうぶだから」などと言っている小学校校長の無責任さに腹立たしさを覚える每日だ。
1960年頃、つまり僕らが生まれた頃から、癌による死亡率が日本で急上昇している。当時の先進国に於ける核実験の放射能の影響であることは間違いない。その当時の濃度が、値として残っていないので、今の東北地区の放射能値と比べることは困難ではあるが、現在当時の値を超えていることは間違いないだろう。
人間の尊厳と生命を脅かす原子力、それを作り出したのは人間の驕りと無知だ。学校教育が国民に施してきた教育、国民の幸福のための教育が、いつの間にか国家に忠実な選民思想的な教育になってはいなかっただろうか。
どんなに虐げられても、どんなに差別されても、暴動も反政治運動も起こさない、日本の学生や若者たちはなんて慎ましく善良な子羊だろう。これも日本の教育のおかげなのだろう。僕は非常な違和感を感じる。
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