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2011年8月23日 (火)

神様をなめてはいけない

星に願いをという歌がある。

突然であるが、自分の願いや思いを実現させるために、神や宇宙に向かってお願いをするのは間違っていると思う。

自分の願望を自身の都合で神様にお願いするのは、神様が自分とは別のどこか遠い存在であることを認めてしまうことじゃないだろうか。それは3億円が当たりますようにと、宝くじ売り場の招き猫に祈る姿となんら変わらない。叶うはずがない。

それは僕らの中に神様がいることを気づいていないから、僕らはどこか他所に神様を求めてしまうのではないだろうか。そして神様とは似ても似つかないものに頼り、幸運どころか不幸を背負ってしまっているのではないだろうか。

強い願望は全否定に繋がる。神社仏閣に詣でて、どうか幸せになりますようにと願う事自体、自分が不幸であることを認めている証であり、ポジティブな心境ではないことになる。

震災後、たなびいている『がんばろう岩手』『がんばろう東北』の幟旗も、頑張っていないことを前提にした言葉であって、猛烈に頑張っている人達に失礼極まりない言葉である。

僕は每日神棚に頭を垂れているが、神様にお願いなどはしない。生かされていることへの感謝、子どもたちに教えさせて頂いていることの感謝を念じているだけだ。つまり神様の存在に感謝する每日である。

神様をなめてはいけない。いちいち願いなどを言わなければ分からないほど、神様はもうろくなどしていない。感謝と愛のエネルギーを自ら放射すれば、僕ら全てに宿る根源の力は、この地球を宇宙を動かすのである。

・・・・・ちょっと生意気なかねごん宇宙教祖の言葉でした。

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