僕は好きじゃないな・・・
週刊誌や新聞社の発行元から、今回の東北関東大震災の特別号が出版されている。コンビニなどでちょっと眺めただけでも涙が溢れてきてしまう。悲しみの風景でページが埋められている。
岩手に住んでいる僕は、それらの本を手に取りじっくり読むことは、まだまだ出来そうにない。
テレビの報道は日常化したが、被災地の日常は3月11日の日から奪われ、ずっと非日常が続いている。
相変わらずどこへ行っても、頑張ろう東北、頑張ろう岩手の旗がなびいている。家族を亡くし、家を流され、仕事もない人達に、頑張ろうの文字がどんなふうに映っているのだろうか。
正負の足し算や引き算が出来ない受験生がいる。期末テストに因数分解が出るから頑張れと言われても、彼ら彼女らは何を頑張ったらいいのか分からないのが現状だ。頑張れ、勉強しろという励ましの言語が、彼らの心の中では「お前はなんで出来ないんだ」という強迫観念に翻訳されて行く。
全てを失った人達に対する頑張ろうという言葉は、周りの人が支援してくれるから大丈夫だよという意味だろうか。もしくは、そのうちに国や県や町が何とかしてくれるから頑張ってという意味だろうか。それとも、今を乗り切れば新しい道が開けるはずだから頑張れということだろうか。
震災の直後からあふれ出した『頑張ろう』という言葉や『信じる』という言葉。一体誰がどういう目線で放った言葉だろうか。僕には残念ながら、それらの言葉に愛を感じない。
東北の被災地に頑張ろうという言葉はいらない。皆んなの辛さや、悲しさ、切なさ、怒りを封印するおまじないなんかいらない。頑張ろうと言われたら、頑張るしかないんだよ。逃げられないじゃないか。
テレビカメラが向けられると、皆んなが口にする。「生きていることに感謝です」。
悪いけどうそだろう・・・・。本当は悔しんだよ。やりきれないんだよ。叫びたいんだよ。
東北人は忍耐強い。いつも聞くフレーズだ。関東の工場の人事担当者が、高校にやって来ると、いつもこのフレーズを使う。「東北人は忍耐強くて頑張りがききますから」。
僕は好きじゃないな・・・・。
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大変考えさせられました。
「頑張れ!」とか「信じてる」とか、TVなどでもあふれていますが、それを耳にするたびに私も違和感を感じていました。なんか“ファッション化”してないかと。被災された方々に向けてと言うより、そういう発言をすることで自分を飾ろうとしているような・・・。うがった見方かもしれませんが。
(かねごん)
エイム様コメントを頂きありがとうございます。
僕の町にはためいている「頑張ろう岩手」の文字が、安売りの商店街の、のぼり旗となんら変わらない様相を呈しています。がっかりです。
投稿: エイム | 2011年6月28日 (火) 23時41分