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2011年6月25日 (土)

「唐人町寺子屋」泣くということ

下に引用した記事は、福岡市の学習塾「唐人町寺子屋」の鳥羽先生のブログです。僕のブログにリンクをしている先生方の日々の記事は、根底に怒涛のごとく流れる人間愛を感じます。ゆえに僕はリンクをさせて頂き、毎日真摯に先生方の記事を拝読させて頂いています。

今回の未曽有の震災で、その先生方の記事が変わりました。文体が変ったとか、放射能や被災地への思いをしたためた記事が増えたとかそういう事ではなくて、生きることの根源を問う記事が増えたように思います。

今日引用させて頂いだ鳥羽先生の記事は、岩手に住む僕の感情を代弁して頂いた文章です。「泣くということ」という記事の抜粋ですが皆さんの心にも強い共鳴をもたらす記事だと思います。読んで頂きたいと思います。

《唐人町寺子屋の鳥羽先生のブログ記事からの引用》

震災後、生きづらい、と感じている人がこれまで以上に増えているのではないかと心配しています。震災後の、ひとつにまとまらなければ、助け合わなければという風潮と、その風潮に合わせることができなければ人でなしかのように扱われそうな空気。いままで以上に、人の欲望が見える。居心地が悪い、生きづらい・・・。


震災後の「気をつかってばかり」のテレビや報道を見ていると、これは新手の思想統制なのではないか、と思うことがあります。

「がんばろう」という合い言葉や、震災にまつわる数々の美しい話。
これらは確かに、被災した人たちの活力やエネルギーに結びついている場面があると信じます。

しかし、これらのことは、一方では、残酷すぎる悲劇を覆い隠すという大きな使命を持っています。私たちは、「がんばろう」という高貴な叫び声をあげ、人間の美しさを垣間見る美談に酔っているときには、悲劇の本質を見ずに済むのです。

今回の震災に際して取材を受けた被災者やボランティアの中には、自分たちが「当たり前」にやっていることが、マスメディアによっていつのまにか「美談」に仕立て上げられていたことに対する大きな疑念や反発が生じた事例があります。

このマスメディアの「嘘」は、一部の人たちにそのとき限りの「悦楽」を与えるのみであって、当事者の痛みをことさら増幅させるものです。また、悲劇の本質を隠してしまうという意味では大変有害なものです。






現代の人たちは悲劇を直視することを好みません。
それどころか「泣く」こと自体が抑圧されています。


柳田国男は、いまからちょうど70年前の随筆「涕涙史談」の中で、昔より現代の人は泣くことがなくなった、そもそも人が手放しで泣くことをさも悪徳のように言いだしたのは中世以降のことだ、ということを指摘したあとに、次のように語ります。


『率土が浜づたひ』という旅日記に、その時の記事を残している。その一節だけを読んでみると、

日は西に傾けば、たうめ・をさめ、わらは打ちこぞりて、磯山陰の塚原に灯とり鈴ふり、かなつづみをうちならして、なもあみだぼとけ・なもあみだぼとけ、あなたうと我父母よ、をぢ、あねな人よ、太郎があつぱ、次郎がえてなど、なき魂喚ぶに日は入りたり

とある。是は大凶作で沢山の人が餓死してから程ないことだったから、この喚び声が殊にかなしかったのであろうが、同じ風習は常の年でもくり返されていた。是から遠くない外南部の恐山でも、七月二四日の地蔵会の晩に、幼い児を失い、盛りの男に死に別れた人々が登ってきて、今でも夜一夜、泣いては踊り、踊りを止めては賽の川原の岸に出て泣いているのである。<中略>とにかくに生きた人ばかりか、死んだ眼に見えぬ人の霊にまで、やはり心のかなしみの声を聴かせる必要を昔の人は認めていたのである。その理由または事情を分析してみようとせずに、ただ単に慟哭という一種の交通方法を遮断したとても、それで世の中が楽しくなった証拠にはならない。

しかし、大体において、子供も成人も泣かずにすむようになったのは、泣くよりももっと静かな平和な交通方法が、代って発達しつつある兆候とみてもよいであろう。今さらもう一度勝手放題に泣かせてみるというような表出の自由は、決して我々の要求するところではない。ただその適当なる転回なり代用なりというものが、果たして調子よく行われているかどうかということは、国を愛する人々の忘れてはならぬ観察点であり、殊に若い諸君に無関心でいてもらっては困ることだと思う。



柳田の「涕涙史談」は、人間の「涙の歴史」を語るとても珍しい資料です。このなかで柳田は、現代人が泣かなくなったことの裏に、実は本質的な問題が潜んでいることを示唆しています。

昔は子どもが死ぬことが多かった、暮らしも貧しかった、だから泣くことが多かった。
いまは幸福な時代だから泣くことは少なくなった。
柳田はこういう側面があることを明確に否定しない一方で、現代のほうが昔より泣くほどの悲しみが少ないということに関して懐疑的あり、泣くことがなくなった理由や事情にはもっと込み入ったものがあると考えています。そして、その理由やら事情やらを観察することこそが我々の使命であるということをこの随筆で語っています。

昔は、泣く行為それ自体を周囲や祖先にまで叫んで踊って伝えねばならないほど、泣くことはこの身から切り離せないものでした。しかし、泣く行為は時代とともに次第に忌み嫌われてゆき、それを代用するものが発達した結果、泣くことが少なくなっていったと柳田は語ります。

ここで泣くことの代わりになったものとは何でしょうか。
それは泣くことを抑圧するものです。
「泣く」かわりになるいろいろな慰め物が発達した結果、私たちは泣くことをやめたのです。



今回の震災では3月11日に突如あまりに大きな悲しみが東日本一帯を襲いました。
この悲しみの大きさは計りしれず、激しい慟哭が全国に響き渡りました。

この声を聞いた人たちは、慟哭の代用になるものをすぐに見つけました。
それが「がんばろう」「ひとつになろう」という掛け声であり、さまざまな美談でした。

しかし、これらは柳田が問うように「その適当なる転回なり代用なりというものが、果たして調子よく行われているかどうか」はかなり怪しいのです。

柳田はすでにその時代において、「泣く」ことの転回と代用がうまくいっていないことを察知し、そしてこの問題を後世の私たちに宿題としてのこしました。

転回と代用は、時代とともに大いに洗練されて原型をもたないほどになりました。柳田の時代よりもはるかに、「泣く」ことが代用または転回されていることを指摘することが難しくなっています。

しかし抑圧された「泣く」ことの残滓は、心の沼に沈殿したまま次第に大きな錘となり、時間をかけて人の心を蝕みます。
はじめからけっしてうまくはいっていなかった代用。代用というよりは、「泣く」という行為の首根っこを絞め殺すようなおぞましい「別物の何か」を日々使っていると、私たちはそのうち涙を忘れ、枯死してしまうのではないか、という不安で胸がしめつけられます。

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コメント

かねごん先生、記事にしていただいて大変光栄です。ありがとうございます。

この記事は、実はかねごん先生がブログのなかで「耐えることよりも頑張ることよりも、自分の悲しみに今日は泣いてください」と綴っていらっしゃって、わたしはそれに対して心の深いところで共鳴を覚えていました。
それを読んだときに、このことを記事にしてみたいと思いました。

そういうわけですから、かねごん先生に、取り上げていただいたのはとても光栄なんです。ありがとうございました。

(かねごん)
鳥羽先生コメントを頂きありがとうございます。
先生のこの記事、猛烈な波動を感じました。心に沁みました。
勝手に引用させていただきました。ありがとうございます。

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