人間は孤独な存在だ
人は一人一人顔が違う。そして心ももちろん違う。考え方や存在価値に於いては孤独な存在なのではないだろうか。
だから自由に生きていいのだと思う。人生に於ける多くの足枷は幻想に過ぎない。実体がないものだ。
見る景色も音楽も、皆が同じ風景を見ているつもりでも、実はそれぞれが異なった風景をみて、違う音楽を心で聞いている。
感情や思考の流れが同じだと思うことに、そもそも僕らの無理がある。
他人の悩みや苦悩を共有できても、確実な理解など不可能だ。そのことを考慮せず教育を行うと、身勝手な理想論で終わってしまう。
人間は生まれてくる時も、そして死んでいくときも独りきりだ。同伴者はいない。与えられた命は愛の結晶であるが、その実体は孤独そのものだ。
人間は孤独ゆえに、人生の同伴者を求め、同胞を求め続ける。人との関わりは、喜びではあるが、時として苦痛でもある。これはいくら年を取っても変わらない。
最初の繰り返しになるが、人は考え方も価値観もそれぞれが違う。似ていることがあっても全てが違う。そこに実は多くの学びがある。一人として同じ人間がいないということをじっくり考えると、宇宙的な視野が拡散していかないだろうか。
自分の思考の、自分の価値観の60億倍の学びが地球上にはある。書物やパソコンに耽溺することも一つの価値観であるが、多くの同胞たちの生身の声に耳を傾けてみることもとても大切なことだ。
勉強は自宅のパソコンの前でも、塾のパソコンの前でも出来る。しかし本当の学びは、そんな箱の中には入っていない。
山を歩いてみよう。土を耕してみよう。音楽を奏でてみよう。ボールを打ち合ってみよう。そして愛しあってみよう。僕らがなぜ生きているかが分かるはずだ。
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