「馬鹿だから先生になった」とためらいなく即答された
高校の定期テストが近づいてきた。高校生は僕に数学を聞いてくる。どさくさに紛れて化学や生物の質問もしてくる。
僕の専門は英語と論文だと言っても、中学校時代僕に全教科を指導されてきた塾生は、至極当然のごとく僕に何でも聞いてくる。教えられる事は教えるが、教えられないものは教えられない。
昔、個性的な先生に「先生はどうして先生になったんですか」と聞いたところ、「馬鹿だから先生になった」とためらいなく即答されたことがある。
一つのことしか教えられない教師なんて、ろくなもんじゃない。頭がよかったら違う仕事をしてバリバリ金を稼いでいるよ、というのがその先生の持論だった。
先生という存在を、存在たらしめているのが先生という呼び名なのだが、この名前に違和感をお覚えなくなると、精神が鈍化する。
数年前もテーマにした話題だが、学校外のプライベートの場で、例えばPTAの親の行事で、たまたま教師をしている親同士が、名前ではなく、先生と呼び合うのは周りの空気を鈍化する。気づいていないのは彼ら教師をしている親たちだけだ。
僕の知人の塾屋さんの中には、お互いに先生と呼ぶのをやめましょうよという方もおられる。また僕の塾にお子さんを預けて頂いている、中学校時代の後輩や先輩のご父兄は、僕を先生とは呼ばない。いや呼ばないでくれと僕が頼んでいる。
大先輩に先生などと呼ばれたら、おちおち指導などしていられない。
最近高校の授業がない日は、里山の休耕田で僕は草刈り作業をしている。今年は例年になく涼しくて、作業がはかどるのだが、それでも10アールほども草刈り作業をすると汗だくになる。
無精髭をはやし、草刈作業で日に焼けた僕の顔は、どう見ても先生と呼ばれる類の顔ではない。
英語の他に、草刈機械や農作業機械の指導なら得意だが、やっぱりシグマや微積はどう頑張っても僕には無理だな・・・。
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先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし
こういう川柳がありますが、まったくその通りだと思います。教員同士が、職場である学校で「~先生」と呼び合うのは分かるとしても、職場を離れた地域やその他の場で「~先生」と呼び合うのは、やはり変だと思います。
教師しかいない場であれば、そのように呼び合ってもいいでしょう。しかし、教師でない人がいる場でお互いを「先生」と呼ぶのは、自覚が足りないのではないかという気がします。
「先生」と呼び合うことによって「先生」でない人たちを疎外することになると気が付いていないからです。これからの未来を担う子どもたちを教える先生方には、少なくともそういう無神経さを持ってほしくないです。
(かねごん)
小林先生おはようございます。全く先生のおしゃるとおりです。
先生同士の会話では全く構わないでしょうが、冠婚葬祭のような公の場で、大きな声で先生と呼び合う光景には、こちらが恥ずかしくなってきますね。
それが若い教師だったりするとなおさらです。ちなみに僕の尊敬する郷土史研究家の村上先生は、職員室でも私と神社や仏閣の話題をするときは、先生という呼び方を切り替えて、かねごんさんと問いかけてきます。素晴らしいと思います。
投稿: 学び舎主人 | 2011年6月 5日 (日) 23時30分