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2011年5月 1日 (日)

数々の疑問

アメリカ南部を襲った幾多の竜巻は、民家を壊滅させ300人以上の尊い命を奪った。

僕らの地球は一体どうしてしまったのだろうか。我々人間の無力さを、自然はこれでもかと言うほど見せつけている。

僕らは為す術も無くただ頭をたれなければならないのだろうか。それとも、人間という存在の尊厳とプライドをかけて、この荒れ狂う自然の猛威と戦わなければならないのだろうか。

最近多くの方々が、無常観という言葉を口にする。一切のものは、生じたり変化をしたり滅んだりして常住のままではない。その仏教思想を人々は痛感しているのかも知れない。

長い年月をかけて構築してきた文明や人類の歴史、その価値観を見出せるのは人間だけである。自然界から眺めれば、砂場に作られた城も、人類が創り上げてきた幾多の建造物も、ひょとしたら何の価値もないものなのかも知れない。

神の存在や、人智を超えた崇拝物を介入することでしか、僕ら人間は自然を納得するすべがない。

僕らは家畜の命よりも、人間の命のほうが大切で尊いものだと思っている。そしてそのことを疑う人間はいない。しかしそのことを疑いだしたとき、僕ら人間の根底にある何かが揺さぶられてくる。

本当に知能を持ったものが勝利者であり、地球の支配者なのだろうか。僕の心の中に封印していた疑問や疑念がふつふつと湧きでてくる。

人間は進化をしてきたと言われている。果たして本当だろうか。無作意に選んだ人間に、テレビを作ってくれと頼んでも、自動車を作ってくれと言っても、ほぼ100%の確率でその欲求は叶えてもらえない。現代人は道具がなければ、一人で火を起こすことさえ出来ない。つまり原始人以下の能力なのだ。

ごくすぐれた能力者(企業)に、お金という代償を払い、生活を営んでいる文明人と言う名の奴隷者なのだと言う事に、誰も気づいていない。

震災で1週間近く停電になった僕の町で、多く聞かれた言葉がある。朝昼晩と家族で数日間、毎回食事をとったのは人生に於いて初めてだったと。

ローマ帝国時代の奴隷でさえ、家族と夕餉を食べる時間を与えられたという。近代人の多くの働き手たちは、夕食でさえ家族と共に食べることが出来ない。果たしてこれが幸福と言えるだろうか。

震災の後、三陸の崩壊した町を眺めていた僕は、この文明がたどり着く未来を考えていた。僕らはあまりにも無力だ。しかしその無力さゆえに道具を作り、文明を築いてきた。

分かったふりをしているが、僕らは何も分からない。

僕の山里では地震が来る前に必ずキジが鳴く。ケータイの地震警報が無能と思えるほどの正確さだ。

きっと僕ら人間は、自然と共存すための何か大切なものを忘れてしまっている。

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