生まれて初めてもらった原稿料
単なるヘタの横好きだが、詩や散文のようなものを書いては捨て、書いては捨てという青春時代を過ごしてきた。
自分の思いを書くという快感を知ってしまったことが、文章を書くきっかけになったのだが、それは中学1年の秋に遡る。
僕の入った中学校は1学年7クラスで、全校生徒は900人近くいた。現在僕の卒業した中学校は統合して名前が変わってしまったが、統合しても300人ちょっとしかいない。40年前の3分の1になっている。
文化祭でクラスから弁論大会にでる代表を選ぶことになった。僕は中学校1年から身長がほとんど伸びていない。168センチの身長は、中学に入るときは後ろから3番目で、高校を卒業するときは前から3番目だった。この遺伝子は見事に息子たちにも受け継がれていて、現在息子たちの身長は僕と同じくらいなのだが、中1からそんなに伸びていない。その大きい身体がクラスでも目立ってしまったのだろう。なぜか僕が文化祭で発表することになってしまった。
周りの真面目な意見発表に対して、僕の個性的な作文は学校の先生の評価は得られなかったが、同級生や先輩方の共感を呼んでしまったらしく、その発表をきっかけに、僕は3年間生徒会の役員をすることになるのだが、生徒会会報を含め、自分の書いた文章が多くの人に読んでもらう快感みたいなものを13歳で知ってしまった自分がいた。
僕のブログ病は間違いなく、あの時の中学での経験がベースになっている。
1週間前、僕が一関市内の蕎麦屋でそばを食べていると、タクシーの運転手さんが入って来た。高校の時の卓球部の先輩だった。
僕は軽く会釈したのだが、髪が薄くなり無精髭を生やした僕を、かつての後輩だとは認識できなかったようで、僕の横をさりげなく通りすぎて行った。
実は僕はその先輩に、夏休みになるとバイトを頼まれていた。読書感想文である。原稿用紙3枚で500円の執筆代をもらった記憶がある。言わば僕が生まれて初めてもらった原稿料だった。
もうあれから35年の月日が過ぎた。僕はいまだに詩を書き曲を作っている。
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