演奏者のスピリッツ
僕が行っている高校では、先生方同士による授業見学を行っている。先週は僕の担当している2年生と3年生の英語の授業を、教育実習の先生とベテランの英語の先生に見ていただいた。
教育実習の先生は、僕の長男と同い年だ。その日の僕の授業は関係代名詞及び名詞の修飾句や修飾節の授業だった。女子クラスの授業だったが、ペットにワンちゃんを飼っている家庭が多かったので、どんな犬を飼っているかを聞いて、そこで生徒が出してきた形容詞や、形容詞句を使って授業を展開するつもりだった。
女子生徒から出てきた言葉は、胴長短足の犬、茶色の犬等の表現が出てきた。今考えると僕も少し緊張していたのだろう。そこで関係代名詞を使って、『私は短い足と長い胴を持っている茶色い犬を飼っている』、という英文を示せばよかったものを、勝手に自分が思いついた例文を黒板に書き、せっかく発言してくれた生徒の例文を使わないでしまった。失敗である。
授業は生き物だ。その日の天候や、前の授業でのハプニングの影響や、生徒たちの喜怒哀楽が完璧に影響する。もちろん教師サイドのコンディションもだが・・・。こちらが予定した通りに生徒が反応することはまずないし、アドリブが瞬時に必要な状況がいつもある。
僕は一応指導の年間計画を高校に提出しているのだが、予定通りに1年間を終わったためしがにない。私立高校だから許されているところがあるが、これが公立の学校ならばとっくに僕などはお払い箱だろうと思う。
突然だが、僕はジャズやブルースが好きである。病気と言ってもいいくらいのめり込む。ジャズをご存知の方はもちろん知っていることだが、ジャズやブルースはアドリブが命だ。コード進行だけを決めていて、即興で楽器を引いていくフレーズをどこまで演出できるか、ライブなどではそこで、演奏者のスピリッツが聴衆に伝わっていく。
僕は授業も全く同じだと思っている。教科書や指導計画案を離れたところで、どれだけ生徒たちの興味や学び心に火を付けられるかが勝負だと思っている。
生徒を順番に立たせ、教科書を読ませ、訳させることで終わる授業を毎回やっていた教師が僕の学生の頃は多かったが、それは授業とは言わない。職務怠慢である。また毎回CDプレーヤーを持ち込んで、授業の半分を過ごす教師も同じだ。それなら僕のように英語のシモネタ話をやっている方がまだましだろう(故に僕の授業のファンは多い・・・ような気がする)と思う。
中学校時代の同級生や後輩で、教員をやっている連中は、副校長になった者が増えてきた。僕らはそんな年になってきた。僕はいつまでも異色な存在でありたい。そのほうが人生はオモロイ気がする。
これから中学校の卓球の指導に行ってきます。それでは。
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