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2011年5月 2日 (月)

だから塾を続けている

僕が2年前、塾の前に合格者の名前と学校名を貼り出すのはいかがなものだろうかという記事を書いたのだが、それ以来市内の塾ではどこでも合格者の名前を外に貼り出さなくなった。僕の記事の影響ではないかも知れないが、いいことだと思う。

塾というところは誰がどんな形で利用してもいいのだが、塾に通っていることを、もしくは通わせていることをひた隠しにする親御さんや塾生は多いものである。

しかし子どもというものは結構いろんな話をするもので、「この塾にいた〇〇ちゃん、駅前の〇〇塾に通っているよ」とか、「この間先生の塾に入った〇〇さん、前は〇〇塾にいたんだよ」などという情報が日々飛び込んでくる。

僕は僕の塾の生徒が、どこの塾から来ようが、掛け持ちをしていようが、まったく気にしない。

ただ気になることが近年に於いてはある。それは塾を変えるスパンが短すぎることだ。言っちゃ悪いが親御さんも生徒も、塾に対する期待度が高すぎるんじゃないだろうか。

塾は奇跡を起こす魔法の場所ではないし、生徒を瞬時に変える洗脳施設でもない。長いスパンで指導されても困るという気持ちも分からないではないが、2年目で花開く生徒や、3年目で猛烈な進化を遂げてきた塾生たちを見てきた僕にすれば、半年や1年で結果が出ないからと言って、次々に塾を変えることは、賢い塾選択だとは思えないのである。

僕はこの通りの遠慮をしらない塾オヤジなものだから、随分ご批判も頂いてきた。塾を始めた20代の頃は、偉そうな教育論をぶち上げると、「君たち塾教師は学校の先生のなり損ねだろう。何を偉そうに言っているんだ」とか「教員採用に受かるまでの足掛けでやっているんだろう。学校の現場に行けばそんな理想は通らないよ」などなど、随分厳しいお言葉を先輩諸氏から頂いたものだ。

かつても申し上げたが、僕は公の文字が付くところには縁がなく、高校も大学も私学であったし、教員採用試験も一度も受けたことがない。現在私立高校の講師を仰せつかっているが、僕の全身は間違いなく塾魂で出来ている。

決して塾で学校ごっこをしているわけではないし、経済的にも肉体的にもぎりぎりの戦いを強いられているのが我々の業界である。

28年間の塾教師生活で、僕は28年受験学年を指導してきた。今回の震災では随分塾を休んでしまったが、僕は年間で完全なオフがとれるのは正月ぐらいで、塾の休みの日は、納税組合の仕事であったり、中学校の部活の指導であったり、田畑仕事であったり、神社の総代の仕事であったり、一日パジャマで過ごすような日はない。そして週の半分は昼に高校に行って授業をしている。

休塾の日は、半分はボランティア、半分は生活の為の仕事で過ぎていく。ちなみに今日は休塾だったが、地域の家々に、軽自動車税の切符と固定資産税の切符を配布して歩いてきた。

中3生が卒塾した後の3月~5月は、地方の田舎の塾は閑古鳥が鳴いている。僕の塾もその例外ではない。塾生からいただく月謝は、手付かずのまま教室の家賃や光熱費に飛んでいく。それでも塾を続けるのは、自分が塾が必要だと思っているからだ。それは奢りでもなく、ナルシストを演じているわけでもない。

僕の経済哲学は、『金がない時は無いなりの生活がある。』といういたって当たり前で、陳腐なものだが、実践してみると、生きることの本質が見えてくる。だから塾を続けている。

*震災にあい、一関に仮住まいをされる方々で、小学生や中学生のお子様がいっらしゃるご家族の皆様にお願いがございます。大験セミナーでは、被災された子どもたちのために、無料の日曜教室を隔週で行います。僕の塾がやれることはこんなことしかありませんが、落ち着きましたら当塾まで連絡頂ければ幸いです。

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コメント

かねごん先生

こんばんは。
先生の塾屋魂、まったく同感です。
塾を対処療法のごとく転々と移り変わる
子どもさんと親さん。

塾に行ったら成績が上がるのは神話であって
我々の歯車と子ども達の歯車がかみ合った時に
信じられない結果を生む。
かみ合う前から結果を求められても
私たちは魔法使いではないのですから。

かねごん先生や小林先生のことを思って
とよ爺先生と美川さんと私とで
爺サミットを開きます。
夜電話を入れます。
飲んだくれ親父の馬鹿騒ぎに
少々お付き合いくださいませ。

必ず一関に行きますから。
それを明日決めさせてください。

(かねごん)
上野先生コメントを有難うございます。
僕もこちらがこのような状況でなければ参加したかったですね。一緒に塾魂を鼓舞したかったです。
被災地は昨日49日の法要を行いました。
3月11日の震災から、僕の記憶時計は止まっています。
隣町の光景をまだ現実として受け止められない自分がいます。
一ノ関、日程が許すならばぜひ来て下さい。そして三陸の町を見てください。上野先生や美川先生、そしてとよ爺先生に見ていただいたなら、あの風景が現実として僕の時間を動かし、僕は復興にもっと力強く立ち向かえると思います。

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