諦観などという言葉は使いたくない
停電しても、水が止まっても、スーパーや給水車に長蛇の列ができなくなった。ガソリンスタンドもそうだ。
岩手県人が災害に慣れてのではなく、生きるすべを見に身にまとったのだ。3月11日以来、わずか1ヶ月足らずで震度3以上の地震が500回を超えた。
あえて僕は諦観などという言葉は使いたくない。どうやったらこの震災から立ち直れるのかを、東北人は模索し始めた。モノが無ければ無いなりの生活、お金が無ければ無いなりの生活を模索し始めた。
3日前全国展開をしているリサイクルショップで印象的な光景を目にした。沿岸の被災者の皆様へ、というメッセージが書かれ、多くの古着が無料で置かれていた。しかし誰も持っていかない。それは山積みにされていたからだ。
お店がいらないものは、たとえ被災していてもいらない。多くの東北人が被災しているけれども、決して恵みを施してもらいたいのではなく、普通の庶民として早く自立したいのである。
何日もお腹をすかしていたら、食べ物が欲しい。当たり前の話だ。しかし毎食菓子パン一個と缶ジュースを手渡せられたら、生きる希望が失われていく。だから一日でも早く避難所を出て普通の生活をしたいと考える。
若者や元気な人達はそれができる。問題はお年寄りや弱者だ。
被災者の命を救うための援助支援の時期は終焉しつつある。今度は希望支援だ。若者や元気な方々には仕事を。お年寄りには、家族愛に代わるものを提供していかなければならない。今度の月曜日で1ヶ月になる。
正直、三陸の海岸の風景を信じたくない。誰かが冗談で特撮をしているのだと思いたい自分がまだいる。
この一月で、うまく口では言えないけれど、周りの人々の意識が変った。気持ちが誤魔化せなくなった。そして嘘を言っている人間がすぐに分かってしまう、そんな意識状態が訪れている。
人は極限を経験すると何かが変わる。被災者の皆さんに笑顔が戻ってきたと報道されることが多くなったが、まだまだ希望の笑顔ではない。
*震災にあい、一関に仮住まいをされる方々で、小学生や中学生のお子様がいっらしゃるご家族の皆様にお願いがございます。大験セミナーでは、被災された子どもたちのために、無料の日曜教室を隔週で行います。僕の塾がやれることはこんなことしかありませんが、落ち着きましたら当塾まで連絡頂ければ幸いです。
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