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2011年4月 5日 (火)

原点に立ち返る

僕が初めて塾で子どもたちを教えたのは、世田谷の千歳烏山の進学塾だった。しかしこの東京での仕事は、僕の中では、自分の本業を見つけるまでのつなぎのつもりだった。

20代の前半、岩手に戻った僕は半年間仕事を探しながら、自分の夢を構築する作業に没頭していた。そんな時僕がよく訪れたのは気仙沼の岩井崎灯台だった。

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中学校の時もそして高校の時も、自転車で往復4時間かけてこの岬を訪れた。三陸の海は僕のインスピレーションの宝庫であり、未来に歩みを進める力をくれる風景だった。

この岬に日曜日に向かうつもりだったが、女房より「物見遊山で行くならやめておいたほうがいんじゃないの」と忠告を受けた。確かに支援の車や捜索隊等の邪魔になるだけだと思い断念した。

仕事をせずぼ~としていた20代の僕は、この岬での日から数日して、岩手県内の学習塾に籍をおいた。履歴書を抱え出かけてみると、プレハブ作りの表現は悪いが貧相な塾だった。東京での立派なビルディングの塾と比べると隔世の感があった。27年前の話である。

そのプレハブの教室はそれから僕の修行の場所となった。社会科と英語が専門だった僕は、その塾でオールランドの教科を要求された。その当時の訓練が、今の僕を育ててくれたと言っても過言ではない。その塾に5年半お世話になった。

未曽有の大震災に岩手は襲われた。経営のスタンスも、塾そのもの価値観も再構築しなければならない状況に遭遇している。

実は昨日、当時僕が教務を執ったプレハブ教室を見に行った。塾そのものは5年ほど前に代表が亡くなり廃業になっていたのだが、教室は残っているのだろうと思い出かけた。当時を思い出すことで、塾屋としての原点に立ち返る、一つの起爆剤としたかった。

残念ながら教室の建物は既に解体され、更地だけが残っていた。道路に軽トラックを止め、しばしその夢の跡を眺めていた。走馬灯のようにいろんなことがよみがえる。20代の未熟だった自分の姿、若いがゆえにがむしゃらだった自分の姿、時に歯を食いしばり、時に怒りに震えた自分の姿を思い出していた。

気がつくと雪が舞い始めていた。昨日は中学1年生になる男子生徒2名が、塾生の保護者の方の紹介で入塾していただいた。4月になって初めての入会者である。今年もスタートだ。

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コメント

金田先生、こんばんは。

そうですか、更地になっていましたか。私もあれから3年以上足を運んだことがないので、現状を知りませんでした。早いものです、月日の経つのは。

私にとってもあのプレハブの教室が、全ての出発点です。最初に配属された教室でしたし、ミーティングで毎週月曜に集まったり、夏期・冬期用の教材作りで作業をしたことも思い出します。

(かねごん)
小林先生コメントを頂きありがとうございます。
昨日、教室のあった更地の前でいろいろ考えました。あれから20年以上が過ぎたわけですが、変に物分りが良くなってしまった中年オヤジの存在に、腹ただしさを覚えた自分がいました。
やっぱり僕には失うものなど何もありません。守備的ミッドヒィルダーでは駄目だなと思いました。
もう一度原点に立ち返ります。

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