不条理に対する怒りだ!
海が泣いている。
海は僕らの陽だまりだ。僕らの心だ。海は母だ。その海に放射能汚染の水を流さなければならない悲しみは、一体誰の責任なんだろう。
東京電力が悪い。そうかも知れない。政府が悪い。そうかも知れない。
でも一番悪いのは、この原子力発電所建設を許してしまった我々国民だという認識は必要だと思うよ。
僕らは勉強しなければならない。無知じゃだめなんだよ。自分たちが楽だからとか、お金があるからとか、そんなことで大事なことを学ばなくていいなんてことはないんだ。馬鹿じゃだめなんだよ。
腹黒い人間に言いくるめられちゃだめなんだよ。いくら東大を出ていたって、りっぱな会社の代表だって、自分の利益のことしか考えていない人間は腐るほどいる。
わかったような面を下げて、適当な話をでっち上げ、財布の中身を必死に数えている輩に、擦り寄っていく愚か者になってはいけないんだよ。
僕らが若い頃、原子力反対を叫んだ時、おまえは共産党員かとか、左翼かとか言われたけど、人間だよ!地球を憂える人間だよ。
うん?今日のかねごんの日記はオカシイって。酔っ払ってのかって?怒り心頭だよ。
おそらく8000万人ぐらいの国民は、福島大変だねとか、漁師さん魚が売れなくなるね、などとお茶をすすりながらせんべいでも食べているんだろうな。脳天気だよ。
太平洋戦争で、大本営発表なんて言って、脳天気に神国ニッポンの勝利を信じてやまなかった日本人と、今の日本人がダブって見えるのは僕だけだろうか。
安全、安全・・・もう聞きあきたね。3月の原発の水素爆発以来、家内も僕も、南風が吹く日は舌がピリピリする。こんな事は生まれてこのかた50年一度もなかった。僕の住む街は福島原発から直線で150キロ。200キロ離れた東京の水が汚染されたのだから、岩手が汚染されていないはずがない!
なのに知事も市長も、地元の国会議員も全くむとんちゃくだ。僕も被災者だもんねなんて感じのツイッターを書いていたり、カメラを向けられれば、原稿の棒読みだ。しっかりしろよと言いたい。なんのための責任者なんだよ。
放射能のごく一部の物質だけを取り上げて安全、安全と連呼するのはもうやめて欲しい。原発外にウランやプルトニウムの反応が検出されたということは、報道されていない(隠蔽されている)危険な物質が既に空や海にばらまかれている証拠だよ。
お笑い番組を見て、ゲラゲラ笑っているそこの君!いま日本は大変なことになっているよ。お願いだからもっと勉強してくれよ。就職難、仕事がない、それでも我々の頃のような学生運動をやるわけでもなく、おとなしく忍耐ぶっている若者たち。いい加減に目覚めたらどうだい。
酒やエッチもいいだろうけれど、もっと人生を考えようぜ。もっと日本を動かしている連中のいい加減さを知ろうぜ。
僕の街のすぐ近くに女川原発がある。震災後この女川原発の放射能値等の話題がいっさい上らないと思っていたら、津波によって原子力発電所の監視防災センターが壊れて、女川原発の数値がいっさい測れなかったらしい。それを東北電力が発表したのが3月24日だよ!
もし震度7の揺れで最悪の状況になっていても、我々には知らせられなかったんだよ。これが原子力を持っている電力会社の体質であり、現実なんだ。
先日、「え!石巻にも原子力発電所があったんですか」なんてすげぃ~反応していた地元国立大の学生君がいたけれど、彼が僕の教え子だったら、間違いなくどついていたね。
僕は昨日、20代に勤めていた塾のあった場所に行ってきた。いろいろ考えた。最近の自分に足りなかったのは、感情をむき出しにした情熱と、不条理に対する怒りだということに気づいたね。
このブログもそうだ。オブラートにくるんだような、上品ぶった記事をいくら書いても、言いたいことはなかなか通じない。今言わなくて、いつ言うんだよ。天からそんな声が聞こえてきたような気がする。
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色々なblogを読ませて頂いていますが、先生から溢れてくる言葉には温かさ、穏やかさ、人間らしさ、言葉のリズムetc…不思議な魅力を感じています。
そして今日のこの稿を読ませて頂きとても心が傷みました。本当におっしゃる通りだと思います。
自分はその傍観者の一人に過ぎないと痛く己を省みています。
震災が起きてから何もできない、できることが見出だせない自分への葛藤が共存して心から離れません…本当に無力で申し訳ありません。
大人として人として、伝えなくてはいけないことだと思います。何も分かれていないと思います、きっとそうだと思います。でも、それでも…気づかせて頂き有難うございます。
(かねごん)
コメントを頂きありがとうございます。
無力であることに謝ることはないと思います。誰もが無力ですよ。僕もそうです。
義援金を送ったり支援物資を届けることはもちろん素晴らしいことですが、一番大事なのは日本人が意識を変えることではないかと思います。
数学ができるとか英語ができるとか、そればかりに若者たちの意識が向けられて、生きるための心の宗教や哲学が構築出来ていないことに僕は悲しみを覚えます。
投稿: 一読者 | 2011年4月 6日 (水) 03時10分
意識を変えるという事が最も大切なこと、というご意見に心底同感を覚えます。
私はただの主婦ですが、阪神大震災以前から微々たるものながら我が家の地震対策について考えて取り組んできました。そして地震についても日々勉強した数年があり、周囲の人たちに家の中の地震対策、自分の住む土地の防災マップをはじめとしての危険度の確認など、あれこれと言い続けてきました。その度に胡散臭そうな顔をされ、何をアツくなっているんだという取り方をされているのを経験してきました。その頃から、日本は新潟・玄界灘・十勝・奥尻と大きな地震を何度も通過してきています。けれど、私の言を聞き入れて防災について考え、自分の家の耐震策に取り組んでくれた人はほんの2~3人にすぎません。お金をかける必要はないのです。100均で出来ることだってたくさんあるのです。けれど、90%の人がどこのどんな大きな地震と被害を見ても、所詮は人ごとなのです。最近ではもう、滅多なことでは地震について話すことはありませんでした。
この震災が起きて、私の住む関東も日常への影響がわずかながらあります。日本中がわが事のように考えて行動してもいます。けれど、です。いざ、自分の居場所の危険性や地震や津波の危険性の話になると、「怖いよね」という一言のあと、そこから先を考えなくなるのです。
私は愕然としました。今、この被害と悲しみの大きさを見て、自分で痛みを感じるこの時にさえ、人は思考を停止させて目をつぶってしまうのか!と。それ以上を知ろうとして、考えようとすれば多くの人が心身ストレスから参ってしまう現実がそこにありました。
今、言わないでいつ言うのだと、自分に言い聞かせて話をしていた自分の心が止まってしまいました。放射能に至っては言うに及びません。
よらしむべし、知らしむべからず。
この言葉をひとつの真実の側面があるとしても、憎むべき言葉だと思ってきましたが、あるいは現実を見据えた言葉なのかと思うようにもなりました。
私は方法を変えようと思っています。上からの言葉には素直な日本人には、上に立つ人たちの意識に訴えるしかないのではないか、と。
一介の主婦に出来ることなど高が知れています。けれど、下から変えるのが無理でも、多くの上に立つ人の中から変えていく方法もあると思うようになりました。政治の話ではありません。どこにでも上に立つ人がいます。チョイ下、あるいは中間の上に立つ多くの人の力。
そして、子どもたち。
本当に子どもというのは柔軟ですね。吸収し、身となり骨となり変えていく力をみんなが持っています。そこから浸透させていくことが出来るなら…そう思わずにいられません。
長いコメントになりましたが、最後に。
どれほど手を尽くしても防災に完璧という事はあり得ません。それが長い間防災や天災について考え続けてきた私の一つの結論です。そして、大切な人を災害で喪ったとき、人は必ず後悔を持って自分のきた道を見るものです。
「もっと、考えておくべきだった。もっとやっておくべきだった。」神戸の震災に遭われた方の言葉です。
大変なことと思いますがどうぞ、頑張ってください。私もまた頑張ろうと思います。
投稿: 関東の主婦です | 2011年4月 7日 (木) 09時54分
関東の主婦様コメントを頂き有難うございます。
心にジンとくるコメントでした。
一粒の種が必ず多くの花を咲かせ、そして実りをもたらせます。
言葉は種です。希望です。頑張りましょう。花の咲かない花はありません。日本人の意識が変われば、必ずやこの国難は乗り切れます!
投稿: かねごん | 2011年4月 7日 (木) 22時08分