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2011年4月17日 (日)

思いを、言葉や行動に移さなければならない

子供の頃から戦争のドラマや映画が嫌いだった。同じ人間同士が武器を持ち殺戮しあうシチュエーションもさることながら、戦争によって家族や愛する人達が引き裂かれていく光景が耐えられなかった。

僕はスポーツ番組とニュース以外はほとんどテレビを見ない人間だが、ドラマ番組では唯一NHKの朝ドラは見る。しかしその朝ドラも戦争時代がメインになると見ているのが辛くなってくる。

確かに戦争体験者がいなくなってきた日本に於いて、戦争という歴史の悲惨さや悲しみを後世に伝えなければならないことは重々承知している。日本は戦争を放棄した唯一の先進国だ。だが、地球上では残念ながら戦争はなくならない。

それは人間は限りない欲望のかたまりだからだ。人を支配することや、人をコントロールすることで、財力や地位を築こうとする人間がいる限り戦争は消滅しない。

これは原子力にも言えることだ。ウラン数グラムで、数千キロの化石燃料と匹敵するエネルギーを放出するパワーに魅了され、効率と利潤の追求を第一主義とする原発推進者たちには、周りの人間が発する警告などは、負け犬の遠吠えぐらいにしか聞こえないのだろうと思う。

戦争は勝ったものが正義だという思想と、原子力は平和利用する限り安全なエネルギーだと言い続けてきた人間たちには多くの共通点がある。それは戦場で散っていった多くの命、原子力で亡くなっていった数十万人の命たちの声を聞く感性も、想像力も微塵もなかったことだ。

今回の太平洋岸の大津波によって3万人近い死者と不明者が出てしまった。この失われた命の多さに、多くの世界地域が追悼の意を表し、支援をしてくれている。もちろん日本国内の人々もそうだ。

僕は今回のこの震災で亡くなられた尊い命の数を見て、あることをずっと考えていた。それは日本人の自殺者のことだった。

毎年日本では今回の震災で亡くなった数と同じか、それを超える数の人達が自らの命を絶っている。今回の震災が1000年に一度の大災害ならば、毎年3万人以上が亡くなっている自殺の問題は、日本社会が誘発している人災である。

富める者が、貧困者を思いやることが出来ない想像力の欠如による人災。健康であるものが、病弱である人間を思いやることが出来ない想像力の欠如による人災。家族に恵まれれている者が、孤独者を思いやることが出来ない想像力の欠如による人災。

これは、戦争は勝った者が正義だと豪語する独裁者や支配者と全く変わらない想像力の欠如ではないだろうか。

僕ら日本人は、今回の震災や原発の事故を契機に、命の共存というものを全身全霊で考えていかなければならない。思いを、言葉や行動に移さなければならない。

*震災にあい、一関に仮住まいをされる方々で、小学生や中学生のお子様がいっらしゃるご家族の皆様にお願いがございます。大験セミナーでは、被災された子どもたちのために、無料の日曜教室を隔週で行います。僕の塾がやれることはこんなことしかありませんが、落ち着きましたら当塾まで連絡頂ければ幸いです。

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