揺らぎ
人生に於いて『もし』という仮定法はあまり使いたくないが、もし今回の地震が全くの偶然で、全く避けられない災害だとしたら、あまりにも人間は無力過ぎる。
僕は子どもの頃から神様を信じていた。過去形で書いたのは、その僕の信念が揺らいでいる。
全ての結果には原因がある。それが僕の哲学だった。塾の経営に於いても、子供たちの指導に於いても、自分自身の人生に於いても常にその哲学が僕を動かし支えてきた。
この4年あまりのブログ記事で、常に僕が提示してきた思考は、『人は思った自分になる』という僕自身の信念だった。
人間の命はいつかは終わる。しかし誰も人生の途中で自分の人生を突然終わらせたいなどとは思っていない。自らの命をたつ人間も最後まで迷うものだ。
テレビで繰り返される津波の映像。そして原発の危機的映像。海は多くの恩恵を僕らに与えてきた。その海が多くの尊い多くの命を奪った。そして原発という人間の建造物をせせら笑うかのように、津波は押し寄せ東北の空を大地を汚染している。
原発は現代のバベルの塔なのだろうか。神の怒りだろうか。震災後の被災者の慟哭を目の当たりにし、30年ぶりに仕事を放棄せざるを得なかった僕は、自分の哲学が揺らぎ、自分の信念を構築するエネルギーの枯渇を感じていた。
東北の沿岸部の多くの方々が被災し、困難を乗り越えようとしている最中、アメリカやフランス、イギリス軍がリビアを攻撃した。打ち込まれた弾道で多くの一般市民がまた命を失った。
善と悪、そのコントラストは絶対ではない。独占欲や性欲、快楽、その中にある幸福を否定すれば、きっと人間は生きて行けない。
想定外という言葉を何度耳にしただろう。我々人類が築き上げてきた現代文明こそが想定外だったということはなかっただろうか。
一瞬にして目の前で、両親や家族を津波で流されてしまった子どもたちがいる。家族に覚悟のさようならを言って福島原発に向かった隊員がいる。
理性が僕の思考を悲しみから脱却させてくれることを、僕自身が望んでいる。
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はじめまして、(とはいっても平泉の吉野屋さんや、一関の
東海林さんの「青空」さんでのライブ後の打ち上げで何度かお目にかかったことはありますが・・・)いつもブログを拝見させていただいておりますが、コメントを書かせていただくのは初めてです。あまりのこの現状に平常心を保つことも容易ではありませんが、金田さんに見ていただきたい動画があります。TouTubeで検索していただくとき「バシャール・メキシコ湾原油流出」などのキーワードを入れていただくと出てきます。バシャールなる人物についてはまぁ、いろいろありますが、この動画のメッセージの後半1分くらいが
「今の我々」に必要なものだと思います。本当は、もう少し自分の言葉でコメントしたいのですが、なにぶん表現力に乏しいのでこんな形でしか表せません。自分勝手な文章で申し訳ありませんが「かげながら」応援しております。くれぐれもお体を大切に・・・・
(かねごん)
板宮様コメントを頂き有難うございます。
ご紹介頂いた映像を先ほど拝見しました。人類が今選択を迫られている実感は僕にもあります。この現代文明がこのレベルで繁栄していくとはとても考えづらいものがあります。
取捨選択する勇気が必要であると思います。
日本は世界の雛形だとおっしゃる方々が多くいます。東北で起きた惨劇が世界に波及する恐れもあります。
僕らの住む地球が、人間をパートナーとして受け入れられるように、我々は覚醒しなければならないんだと思います。
いろいろ考えさせられる映像でした。有難うございます。
投稿: 板宮雅俊 | 2011年3月21日 (月) 13時30分