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2011年2月26日 (土)

運がいいとか悪いとかで片付けられる問題ではない

誰にでも経験があると思うのだが、青春時代の憂いを帯びた日々の中で、『人間は何のために生まれてきたのか』とか、『労働とは何だろう』などとアンニュイな気分で考える時期があるものだ。

僕も御多分に漏れずそうだった。そして50を過ぎた現在、そういった青春の残像とでも言えるアンニュイさを全て消し去ったかと言うと、決してそんなことはない。『人間は何のために生まれてきたのか』実はそういった命題は、教育に携わる仕事をしていると常に突きつけられるテーマである。

高校入試にしても大学受験にしても、そして就職にしてもそうだが、競争社会で優劣を決められ振り分けられて行く社会システムに、僕は人間の尊厳のかけらも感じることが出来ない。

定職に就くことが出来ず、時給600円ちょっとのコンビニのバイトをしている若者と、ボーナスだけでコンビニ店員の年収を優に超える同じ年令のサラリーマンの間に、いかほどの人間性の違いがあると言うのだろうか。

運がいいとか悪いとかで片付けられる問題ではない。我々人間は、生きるということの本質を知っていながら、実は知らないふりをしている生き物だ。僕らは自分一人では生きていけない。共存共栄の発想と分かち合う心が育たなければ、文明は間違いなく崩壊して行く。

ひたすら競争心を煽り、エゴ的な社会を扇動する教育に未来はない。全国津々浦々に於いて、老人の孤独死が社会問題になっている。親の面倒を見るという至極当たり前の行為が、老人の生活を保証するという当然の義務が、社会の風潮に煽られ瓦解している。

厳しい言い方かも知れないが、そんな国だからこそ、我が国は政治も経済も崩壊しているのだ。

自由とは我儘や利己的な存在を示す言葉などではない。自分の存在を存在たらしめてくれたものへの尊厳と感謝があって、そしてそれが行動として結実して初めて生まれる言葉であり、精神性である。

人は人生を謳歌するために生まれてきたと信じている。だから早く政治と教育を変えなければならない。私服を肥やすものだけが権力を蹂躙し、持たぬものが泣き寝入りする社会であってはいけない。

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