勉強が出来ないのは偶然の産物などではない
勉強ができない理由と勉強をしない理由はかなり違うという記事を二日前に書いて、勉強が出来ない生徒に言及しないで終わってしまった。
障害を持っていようと能力が劣っていようと、基本的に勉強が出来ないという生徒はいない。世の中の人達が言うところの勉強が出来ないという表現は、周りとの比較で言われる相対的な評価であって、その人間の能力の本質を示す表現ではない。
善があって悪があるみたいな対極的なものとして、頭の良い悪いを決めつけてしまうから個性が損なわれてしまうのである。
僕がいつも言ってきたように、勉強が出来ないのも個性なのだが、努力なき存在であってはならない。子どもが出来ることをやらせること、そしてそれを大人が見守ってあげることが大切な事である。学校教育の枠の中だけで、出来ない生徒を評価してしまってはいけない。
それとぜひ言いたいことは、能力ある子どもたちを親がダメにしてはいけないということだ。
子どもが泣きやむからと言って、幼児をテレビの前に座らせ、エンドレスでマンガのビデオを見せているお母さんがいると耳にする。やってはいけない。
また夫婦中が悪くて、子どもの前で大声を出して喧嘩をする日々が増えれば、子どもは本能的に不快を防御するために周りからの刺激を遮断してしまう。
子どもの知育の発達は、間違いなく家庭で培われるもので、幼稚園や塾の教室で完成させられるものではない。そのことを忘れないで頂きたい。
勉強が出来ないのは偶然の産物などではない。環境という要因がもたらした個性である。環境が変われば子どもたちは間違いなく覚醒する。
環境が変われば言葉が変わる。言葉が変わればおのずと態度が変わる。態度が変われば運命が変わって行くのである。頑張れ個性人達!
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