Long Distance Call
東京で一人暮らしをしていて、初めて自分の部屋に電話を入れたのは21歳の大学4年の時だった。それまではアパートの共同電話であるピンク電話を使っていたのだが、就職活動に電話は必需品だと思い、ナケナシのお金を叩いて入れた。
考えて見れば、当時はケータイもパソコンもない時代である。だいたいが手紙やハガキのやりとりであった。自分専用の固定電話は贅沢品だった気がする。
贅沢と言えば、僕は東京暮らしが6年間しかないのだが、その間に引越しを5回やった。自主的に引っ越したのは1回だけで、後の4回は言わば強制立退きのような引越しだった。
夜中にバイトから帰ってきてギターなどを弾くものだから、隣人から苦情が多かった。大家さんの逆鱗に触れたのも当然だろうと思う。
不思議なことに5回も引越しをしていて、引越しの記憶がないのである。唯一覚えているのは、新聞奨学生を辞めて寮を出た時と、最後に岩手に戻るために必死になって本の整理をしたことぐらいである。
引越しにお金をかけた記憶がないので、いらないものを片っぱしから捨てたと思うのだが、それにしてもどうやって僕は引越しをやったんだろうか5回も。謎である。住んだ部屋は5箇所なわけで、今でも鮮明に部屋の間取りまで覚えている。変な記憶喪失である。
電話の話に戻るのだが、当時電々公社の固定電話しかなかったのだが、加入料がめちゃくちゃ高かった。30年前で10万円弱かかった気がする。その当時の電話が巡り巡って現在塾の電話になっている。
時に我が家の新婚家庭の茶の間に鎮座し、僕の書斎にあったり、もちろん4回ほど機種は変わったが、かつて1万6千円の家賃のボロアパートにあった電話が漂着したのが、大験セミナーとは、不思議な縁と言うのか、はっきり言って奇跡である。
ちょうど今頃、新米が岩手の実家から東京のアパートに送られてきた。その中に入っていた一万円札にじわっと涙がにじんで来たのを今でも憶えている。
電話をすると「正月は帰ってくるのか」とおやじの声。
大学を出て就職してから2年間は、進学塾の正月特訓があったため、正月は岩手に戻れなかった。あんなに早くおやじが天国に行ってしまうことを知っていたならば、もっとゆっくりと正月ぐらいは過ごしたかったと後悔している。
その分おふくろとは20年間毎日顔を付き合わせているが、50になる息子を今だに子供扱いする習癖には、困ったものである。
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