才能なんてあっても無くてもどうでもいいことだ
教室の2階の西側の窓を開けると、栗駒山をバックに磐井川の土手が正面に見える。夕暮れ時の堤防は、一日を終えた安堵感を背中に浴びた散歩人の姿がよく似合う。
一関一高や一関修紅高校の生徒たちが部活で堤防を走る時間になると、10月の空はいっきに陽が落ち、急に冷たい風が入り込む。
それにしても高校生の走る姿は実にエネルギッシュだ。彼ら彼女らには、きっと走る理由など本当は無いのだろうと思う。健康のためとか、痩せるためなどというオヤジの浅はかな動機からしてみれば、彼らの走りは純粋である。
走るために走っている。そんな彼らの想念が伝わってくる。
いつも中学生や高校生の若者たちと接していると、自分が年を取って行く感覚というものを忘却している時がある。彼らの時代からもう35年も過ぎてしまっているのだが、気づかない振りをしている自分がいる。
一方、無邪気に青春を謳歌しているように見える生徒たちだけれど、それぞれが多くの悩みを抱えている。その悩み多き日々が、実は青春の醍醐味であることを大人になったときに気づくのである。
自分の未来を描くことが出来る子供たちであって欲しい。世の大人たちは、社会に迎合することが楽な生き方のように話すけれど、決してそんなことはない。
例えば夢は継続することを断念しない限り、必ず叶うものだ。多くの人間は夢は所詮夢だと言うが、そんなことはない。夢を叶えようという努力とエネルギーを最後まで持続出来たものは、夢を叶えるのだ。
才能なんて、努力を惜しまない人間から見れば、あっても無くてもどうでもいいことだ。一番嫌いなことだって、3年も続けていれば一番得意なものになっている。
高1まで一番出来なかった英語。それなのに高校生にその英語を教えて飯を食っている男がここに居る。ましてや好きなことを伸ばすことなどもっとたやすいはずだ。
夕暮れを風のように走りすぎる若者達の姿を見ていると、彼らの未来を拒むものは何も無いような気がする。今のように純粋に走り続けて欲しい。
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