たった一人の卓球チーム
惑う年というものがある。自分の生き様というのか、スタンスと言ったらいいのか、本当の自分は今の自分なのだろうかと自問自答してみたり、小さな子どもが砂場で作った砂の城を踏み潰すように、築いたものを一度壊してしまいたくなる衝動にかられることが人生に於いてあるものだ。
僕にとっては30代後半にそれが突然やってきた。先生と呼ばれることに急に白々しさを感じ始めた自分がいた。
僕がやっていることは本当に教育なんだろうか。勝手な自分の自己満足ではないんだろうか。僕は、10年間やってきた私塾を閉じることを真剣に考えていた。
まだ30代。ひょっとしたなら僕には別の生きていく道があるんじゃないだろうか。休みもなく毎日働き続けても楽にならない生活。家族のためにこんな生活でいいのだろうか。そんなことを考えながら、悶々とした日々を過ごしていた。
おりしも長男が小学校でスポ少に入った。夏は野球、冬は卓球をするのがスポ少の恒例になっていたが、中学時代卓球をやっていた僕が、コーチ役として先輩にかり出された。
20年ぶりに握るラケットの感触はとても懐かしく、青春の汗と涙の日々を思い出させてくれた。長年卓球から遠ざかっているうちに、ボールが大きくなっていたり、ルールもだいぶ変わっていた。20年の歳月の長さを感じぜずにはいられなかった。
息子と卓球をやるようになり、僕の中で悶々としていたものが徐々に溶解していった。調子に乗った僕は、ダイケンピンポンという塾の名前を冠したたった一人の卓球チームを作り、市内の大会にも出るようになっていた。
あれから12年以上の卓球の日々が続いている。この12年間での大会の成績は、山あり谷ありの燦々たるものであるが、あのワクワク感はやめられない。
さすがに忙しさと体力のなさで、頻繁に大会に出ることはなくなったが、今年も来月開かれる最初で最後の市内大会に昨日エントリーしてきた。
人生に迷った時は、身体を動かしスポーツで汗をかくことはとてもいい。汗とともに心のわだかまりや、雑念が流れていく感じがする。
30代後半のあの苦しかった時に、復活した卓球は僕の人生を救ってくれた。卓球に感謝である。
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