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2010年8月22日 (日)

感性の時代

今日は英語教育の話をしてみたい。

2歳児、3歳児の頃より子供たちを英語学校に通わせる若い親御さんが増えている。グローバ化する現代社会に於いて、不自由なく英語を話せる大人にさせたいというのが、狙いだろうと思う。

もちろん小学校に英語が必修科目として入ってくることも、英語熱に拍車をかけているのだと思う。

僕の塾でも15年ほど前、ワンパク英語道場なるコースを作り、小学生の英会話指導に力を入れたことがある。残念ながら外国人講師を擁する大手英会話学校の進出ににより、3年ほどで駆逐されてしまったが、僕なりに考えさせられることは多々あった。

僕は今でこそ一応英語の日常会話はなんとかこなせるが、中学校及び高校の1年までは、英語の通信簿が2,3、2,3のアヒルの行進状態だった。中学校まで工業高校志望だった僕は、英語はどうでもいいやと思っていたのだろうと思う。

以前にも書いたが、色弱が発覚し、工業系には進めないと分かった時点で、僕の英語との格闘が始まった。

高校卒業後、大学は英文科に進んだが、帰国子女や親御さんがアメリカ人だったりするバイリンガルの同級生が何人かいた。その時僕が感じたことは、英語に必要なのは英会話力というより、英語的論理思考だと実感した。

英会話力だけを身に付けさせたいなら、小さい頃から月5万円も8万円もする月謝を払って、バイリンガルに育てる必要はなさそうだ。経済力に余裕があるならば、高校時代や大学時代に2年も留学させれば、ほとんどの学生が英語達者になって帰ってくる。

実際僕の高校の後輩で、英語が全く出来なかった若者が、アメリカの南部で2年間を過ごし、ネティブスピーカーと見間違うほどの英語達者になって戻ってきた。彼が僕に言っていたが「突然英語が聞き取れるようになった」ということらしい。

実は僕もそうだった。徐々に英語が理解出来るようになったというより、ある段階に来て突然英語に開眼した感じだった。語学力に必要なものそれは、読書量だったり日本語そのものの表現力かも知れない。

3歳児の子どもには、英語を学ばせる前に、身につけさせなければならないものがたくさんあるのではないだろうか。何のために日本人として生まれたのか、そのことの意義を考えてみてはいかがだろうか。

これからの時代は、実益より感性の力が必要な時代のような気がする。資格だ語学だと宣伝メディアに踊らされる前に、まずは読書体験を重視して欲しいと思うかねごんである。

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