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2010年8月29日 (日)

誰かと繋がっていたいという焦燥感

昼ご飯を食べに、塾の近くのそば屋さんに入る。見慣れたけれども異様な光景が目に飛び込んでくる。

ほとんどの方が、ケータイを片手にそばを食べている。メールを見ているのだろうか、インターネットを見ているのだろうか、まるでケータイと丼がセットになっているようだ。

ご飯を味わっているのかいないのか、視線を丼にやること無く、口をパクパクしている光景は、言っちゃ悪いが、何か文明の頽廃さを感じる。

高校生の下校風景もそうだ。ケータイを片手にうつむいたまま、塾の横を多くの高校生が通り過ぎていく。

その光景に感じる僕の違和感はなんだろうか。人間関係の喪失だろうか。孤独の蔓延だろうか。常に誰かと繋がっていたいという焦燥感は、僕の感覚からはとても異質に思えるのだ。

引きこもりの9割の若者は、インターネットの世界に逃げ込んでいるという。バーチャルな世界に、彼ら彼女らは一体何を夢見、何を求めているのだろうか。

真夜中の静寂のなかで、ブーンと唸る電子音とエアコンの音、タイピングを続ける彼らは、庭で鳴く鈴虫の声も、季節が運んでくる風のささやきも聞こえてはいないのかも知れない。

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情報がめまぐるしく飛び交う社会で、大切な感情を現代人は喪失してしまっている。それは魂のふれあいだ。見上げる空に輝く星や、流れる雲のたなびき、木々を揺らす風の中に、祖先の息吹を感じる情感が、失われているんじゃないだろうか。

ケータイの画面から、古代の息吹や、自然が醸しだす一種の言霊を感じることは出来ない。

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