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2010年8月18日 (水)

学校は社会の縮図である

毎年夏休みが終わる頃になると、真夜中や朝方に「どうして学校にいかなければならないのか」という検索ワードで入ってくる方が増える。その検索の背景には、宿題が終わらない・・、また学校が・・・というため息が聞こえてきそうである。再掲載になるが、多くの悩める生徒がアクセスしてくる記事なので、今日の記事にしてみた。

夏のこの時期になると増える検索ワードがこれである。『どうして学校へ行かなければならないのか』。夏休みが終わり、学校が始まるこの時期、学校へ行くことがままならない状況の生徒が増加する季節でもある。

過去にも何度か論じたことの繰り返しであるが、学校は社会の縮図であり、理不尽の巣窟がゆえに行かなければならないのである。

生徒同士のいがみ合いがあり、競争心を煽る学習システムがあり、勉強しないとろくな大人にならないぞと脅かす教師がいるからこそ行かなければならないのだ。勉強する目的だけならば、PCを相手に自宅でも出来るだろうし、塾でこと足りるであろうと思う。

不登校を克服して立派な社会人になる者も確かにいるが、残念ながら引きこもりの大人になってしまうケースが多い。不登校になることは、その生徒にとってやはり大きな損失である。学校に行けない理由なり状況というものを、取り除いてあげなければならない。

宿題がやれないので行けないとなれば、「宿題なんかやらなくていいから学校においで」と先生が言ってやらなければならない。部活がいやで学校に行けないのなら「部活はさぼって良いからおいで」と言ってやらなければならない。

原因がはっきりしている不登校に対しては、その原因なり障害をいち早く取り除いてあげればいいのである。学校に来ることを何よりも優先させてあげるべきだ。「そんなことで・・・」と周りは思うかも知れないが、そんなことで不登校になってしまうのである。

不登校になっているということは、生徒は生徒なりに苦悩し、大変な経験をしたのである。十分社会の縮図を学んだのである。一日も早く学校に復帰できるようにしてあげることが大切なのだ。そうではないだろうか。

今の学校は、あまりにもたやすく不登校を容認してしまい、学校に復帰させる努力を投げ出しているように思えてしょうがない。不登校を克服した生徒は強く生きて行けるけれど、克服できず家に引きこもっている40万人とも50万人とも言われる若者たちの魂は、決して癒されてはいない。そのことを教育者は考えなければならない。

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