褒めてあげること
人間は褒められることでやる気もでるし、希望も湧いてくる。かく言う僕も、小学、中学の頃はこれといった取柄は何もなかったが、唯一作文と卓球だけは褒められた。
中学校の時の先生方はもうだいぶ高齢になり、僕らの世代の記憶はだいぶ薄れているわけだが、卓球のかねごんですとい言うと、35年以上経っていても僕のことを思い出してくれる。部活動での存在感だけは異彩を放っていたのかも知れない。
日常の僕は、字は汚いし、宿題はやらないし、掃除はサボるし、まったくもってひどい生徒だった。1秒でも早く部活に行きたいものだから、日直当番など最後までまともにこなしたことがなく、汚い字がさらにパワーアップして日直日誌などを書くものだから、担任の先生に襟首を掴まれ、何度体育館から連れ戻され書き直しをさせられたことか。
そんな僕が、偉そうに生徒達に「勉強せい!」などと言っているのだから世の中は全くもって分からない。摩訶不思議な世界だ。
全くの負け惜しみであるが、出来の悪い生徒が教える立場になった時ほど、ある種の異彩を放つ。それは、勉強とはやりたくないもの、サボるものという前提で、子どもたちに臨むものだから、子どもたちに落胆することが少ない。いや、しない。
逆に僕は、一生懸命勉強をしている生徒を前にすると、マジで感動する。ほんとうに「すげィ~」と思う。実に変な塾教師である。
勉強でも卓球でも、一流にすることはあまり得意ではないが、出来の悪い生徒を平均のレベルに持っていくテクニックは自信がある。故に塾屋を30年近くやってこれた。
人生は普通であることがとても大切なことだと思う。通信簿が3であればOKだし、たとえ英語が2であっても、PCのキーボードをローマ字入力出来、文章が打てれば生きていける。そんなふうに考えれば、人生はもっと楽に過ごせるのではないだろうか。
高校生に於いても、偏差値は60や70があったほうが良いのかも知れないが、SSが45あれば入れる大学はそれなりにある。普通に学校を出て、普通に仕事に就き、結婚をし、自活出来る生活、それが僕が教え子たちに一番望むことである。
普通であることを褒めてあげることは大切な事だと思う。普通であることが大変な世の中だからである。
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