作文は魂のリズム
文章を書く能力というのは、僕は音楽的なリズム感が必要だとかねがね思ってきた。それは何もピアノやギターが弾けるとか、音楽の才能があるとかの問題ではなく、自分の息遣いが、文章にリズムとして現れている作文が書けているかどうかという点に於いてである。
僕の同業者には、神奈川のとよ爺先生や、山口県の本田先生、学び舎の小林先生のように、飛び抜けた文才の持ち主がいるが、先生方の文章を読んでいていつも感じることは、文章が自分の思考のリズムになっているということだ。
脳の神経のシナプスが、言葉を探し出し、拾い出して行くスピードや感知能力が、キボードに打ち込む指の動作やハートのリズムに同調しているように僕には思える。そういう意味では、僕の思考はタイピングと同調しないため、いつもペンを握りしめ書きなぐることになる。
中学生や高校生の作文能力の低下が指摘されているが、現在の子ども達の文章はあまりにも日常の話し言葉に感化され、自分の魂の声に耳を傾けて書いていない。魂という言葉で違和感がある方には、本音の自分とでも言い換えてみようか。
本来誰もが持っている、深淵で純粋無垢な自分の心を引き出すことに、不慣れな子どもたちが増えている。
僕は論文指導を生業(なりわい)にやっているものだから、いろんな方から作文指導の悩みや相談を受ける。学校の先生や親御さんだったりするわけだけれども、作文力はずばり人間力みたいなところがあって確かに一筋縄ではいかない。
誰かに見せることをはじめから前提で文章を書かせると、子どもたちは作文は書くけれど、言葉を書いてくれない。
きれいごとだけのテーマで作文を書けと言われても、我々大人だってうまく書けやしない。時に怒りや悲しみや絶望を書きなぐり、投げ捨てたい時というのが誰にでもあるだろうし、あったはずだ。
子供達もそうである。『中学校時代に頑張ったこと』などというタイトルで書かせて、しっかりした文章を最初から書ける子どもは、かなり無理をして世の中に同調しているか、よっぽど自分の感情に鈍感になっている子どもである。原稿用紙に向かって2,3行書いてため息をつくのが普通である。
「おまえ頑張ったことの一つや二つくらいあるだろう。なんでもいからマス目を埋めてみるんだ」 こんな指導をしている先生はいないだろうか。
もう一度言おう。作文は自分の魂との会話である。日頃子供達と会話のキャッチングをしないで、作文指導はあり得ない。これが作文指導の基本であり全てである。子供達との会話から、その子たちの魂の息遣いが聞こえてくれば、作文指導の七割は達成したことになる。僕はそう考えている。
かねごんの受験応援ソング『エール』
かねごんの異色ブルース『かぶとむし』
【動画プロデュースby とよ爺先生】
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あのー、私と比較されている先生方が大きすぎます。
次元が違いますので、勘弁してください。
ちなみにYouTubeの動画ですが、2曲で再生200回を越
えました。
私の目標は1000回ですから、次の作戦を考えなければ
なりませんね。
全国区の道はさすがに険しいです。
(かねごん)
とよ爺先生無理をなさらないでください。
今回の動画編集とて、かなりのエネルギーを使ったはずです。
僕の次男がとよ爺先生の作成した『かぶとむし』を見てぶったまげておりました。小学校4年生の時に一緒に風呂に入ってかぶとむしを歌っていた息子が、もう中3です。
こんな日が来るとは・・・。う~また涙腺が・・・・
投稿: とよ爺 | 2010年5月29日 (土) 00時41分
こんばんは。学び舎です。
私の場合、文章が唯一自己表現の手段なので、「この文章は私です」というつもりで書いています。つまり、他に自己表現の手段があれば、それほど書くことにこだわらなかったのだろうとも思います。
そういう意味で、ときどき記事を書くのがしんどいなあと思うときがあります。書くことがないのだけれど何か書かなければというときほど、なぜそこまでして書くことにこだわるのか疑問を持つこともあります。
最近は開き直って、まあいいか、と出来の良し悪しにかかわらずとにかく書き続けようと気持ちを切り替えました。書いて文章化してみない限り、自分の中にあるものが自分にも見えないと思うからです。
(かねごん)
先日の村上春樹に関する小林先生の文章にはしびれました。
僕には絶対真似の出来ない、小林先生のリズムと行間の間がありますね。
先生の文芸評論は、いつも襟を正して読ませてもらっています。今後も作家論をバシバシお願いします。
投稿: 学び舎主人 | 2010年5月29日 (土) 23時49分