人間は生きなければならない
学生時代、神田の神保町の古本街をよくさまよい歩いた。正確に言うと、本の背表紙を眺めながら妄想に耽っていた。
よくぞこんなにも世の中には本があるもんだと、その光景に、諦観と焦りのような感情を抱きながら本を眺めていたものだ。
人生のスパンの中で、読める冊数などたかが知れている。生涯5千冊本を読む人間と、5百册読んだ人間と、どれくらいの差があるのだろうかと訝しがりながら、知識の源泉は文字をたどる以外にないのだろうかと自問自答し、僕はまた古本を手にするのだった。
日々の生活を見つめる視線の先に、僕は常に死を意識していた気がする。若いが故に、老いて行く社会の姿は、痛烈に胸に迫ってくる。自分が青春を過ぎ、40になり50になり、そして60になる姿は想像だにできなかった。
それが怖くて本を読みあさっていたのかも知れない。矢沢永吉じゃないけれど、時間よ止まれである。
しかし、40代も後半に入った頃から、年を取ることに喜びを感じている自分に気がついた。髪が薄くなり、髭に白いものが多くなり、階段をいっきに駆け上ることがしんどくなってきた自分が、逆にいとおしいのだ。僕は生きてきたんだなという実感を、肉体の老化で知る瞬間、文学よりも哲学よりも大切な学びを得た気がした。
人間は生きなければならない。生きた分、間違いなく死は近づいて来る。その自然さに逆らううちは、なかなか自分が見えてこないものだ。
いっぱいの涙と、いっぱいの汗と、そいていっぱいの悔しさをみんな抱えている。僕もそうだ。それがあるから逆に頑張れるんじゃないかな。
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