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2010年2月 7日 (日)

僕だけの勝手な幻想ならばいいのだが

国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相は27日の党幹部会で、夫婦が別の姓でも婚姻関係を持つことを認める「選択的夫婦別姓制」を導入する民法改正案について「うちは反対だ」と明言した。そのうえで「(党内で)議論する必要もない。(法務省からの法案説明の)話も聞くな」と指示した。千葉景子法相は同法案の今国会提出を目指しているが、亀井氏が反対姿勢を明確にしたため与党内調整の難航は確実だ。2月7日時事通信

「選択的夫婦別姓制」を導入する民法改正案については、僕も実は反対である。夫婦の絆が苗字を変えることで深まるとは言い難いかも知れないが、名前を変えるというコンセプトが、運命共同体としての自覚や子どもを育てる責任みたいなものを担っているような気がする。

離婚率が増加し続ける日本社会が故に、夫婦別姓がいいとする意見もあるようだが、僕は方向性が違うような気がする。結婚という概念を、僕らとは違って若い世代は軽視している訳ではないだろうが、結婚しても名前を変えないという選択肢は日本社会の風土にそぐわないと僕は思っている。

中学生や高校生の恋愛観がそのまま結婚観にリンクして行くようなことがあれば、将来の日本は大変な事になると、実は僕は心配をしている。

恋愛の指導権を取れない男性が増えている。僕らの世代は「だまって俺についてこい」的な風潮がまだまだ化石として残っていた時代である。男女平等の啓蒙思想にあらず、洗脳思想のもと、学校で裁縫をする時間が男子生徒に与えられ、家庭科の時間にサンドイッチを嬉々として作っている男子生徒の姿は、やっぱり僕には馴染めない。

男には男の役割、女には女の役割が現実に存在し、その役割分担を遂行することで保たれてきたバランスというものがあったような気がする。演技でもいいから演出でもいいから女性は女性らしさを、男性は男性らしさを、大人が演じなければ子どもはダメになってしまう。

大学の入試論文などを眺めると、やたらとジェンダーフリーなどというテーマが出てくる。ハッキリ言って僕はこの言葉が好きじゃない。無理に性別から自由になる必要はないし、性別に対する保守性が必ずしも弊害を産んできたとは僕は思わない。

批判を承知で言うならば、女性の社会進出によって、弱体化した男性が無理をして、精神的抑圧を受けるケースが増えたのではないかとさえ考えている。逆ジェンダーフリーである。男性の自殺率の増加がその端的な例ではないだろうか。

男性は肉体の強さと反比例するかの如く精神が弱い生き物だ。男性をやっている僕が言うのだから間違いない。結婚する女性が、自分と同じ名字になってくれる優越感さえも男性から奪いとってしまうと、まずいような気がする。僕だけの勝手な幻想ならばいいのだが。

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